演劇の上演時間も中休みを挟んでの長丁場な演目も、多かったりしますが。人気ミュージカル舞台の映像化である本作も、2本に分けたうえに間を一年(米国基準で。我が国での後編公開時期は現在不明ですが)据え置くらしく、後編までの「待て」を世間が許してくれるのか懸念が過っておりましたが。
しかしながら、続きを渇望させる「引き」を見る側に抱かせて。予算や技量が十二分に備わった大作ではありますが、ストーリーの完結、完走を目指し要所でギアが入る見せ方の「配分」が効いていて、当初の懸念は雲散霧消されました。
その昔この舞台版は、大阪ユニバーサルスタジオ内の常設施設で、見どころをピックアップしたハイライト上演を体感したのみで、それを機に頭から尻尾まで舞台版を見届けるには至らず。西の悪き魔女と善き魔女の友情と対立を描く児童文学「オズの魔法使い」の前日譚であると、ザッとの粗筋でしか気に留めておらず。
なので、善き魔女のグリンダと西の悪き魔女エルファバ二人の出逢いから対立までを初めから追って行く正攻法の時間軸で見せるのかと決めつけて臨んだので、「決着」後がお話の起点となるうえに、映像化らしくオープンエアーな野外での、悪政の解放に歓びを歌いあげる市井の人々。その盛り上がりが収まるまでに、歌劇調の進行に感性を慣らしつつの「悪が如何にして断たれたか」を追う前提話法での始まりを目の当たりにし、思い込みを切り替えました。
エルファバがオズの国の民に忌み嫌われるに至る過程を、これから追って行くのだなと心するも。悪き魔女の素性について民の一人から尋ねられた善き魔女であるらしいグリンダの答えも、何処か歯切れが悪い。「善き」、「悪き」と互いを冠する言葉は、その人を選別する「物差し」のように捉えられがちなのだけれど、本編は、言葉上の意味合いで受け取ってしまう「危なさ」が伴うって気付きに、この二人を追っているうちに誘導される。
私のよく聴く音楽リストには無い歌手であるアリアナ・グランデさんは、本編が映画初出演です。当然、舞台でもグリンダ役を演じておらず。作品の中では、お金持ちの家柄から周囲にちやほやされているうえに、他者との間や組織の中での自分の居場所取りに長けている天性の持ち主。華やかなものや心地よいものに目が無いのは歳相応でも、のちに人格者と奉られる将来を予見させない軽薄な感じ。お伽話の世界観の中に、イマドキの若い娘然とした人物造形をそのまま持ち込んで「素」で居るかのよう。初出演、しかも大作なのにいい意味で気負いが無いのに、驚きました。
自分では「善い行い」と自負している助言や申し出が、結局はグリンダ自身の都合だったりする。対して、エルファバの場合は、父親の不貞に遺伝的不具合が重なって緑色の肌という不運の刻印を押された出自に加えて、下半身に障害を持つ妹の出生の責任まで負わされ。S.キングの「キャリー」ばりに、肌の色と一緒に備わった異能とされる魔力を怒りにまかせて全開放させるのかと思いきや。登場から暫くは、いたって常識人。成り行きで、付いて行った妹の大学に特例編入する事になって、学校を揺るがす事件が起こるも、クラス順位上位のグリンダを差し置いて、建設的な申し出をしてリーダー格の働きを見せるのだけれど。
エルファバ自身の考えや望みから、「悪き」魔女に転じたのではなく、人よりも秀でた能力だけを切り取って、このオズを取り仕切る黒幕によって社会の悪者へと仕立て上げられるのだ。この辺りは、ファンタジーの世界観を土台にしているのだが、「現世」と相通じている。
登場人物や作品背景の「説明」を進めねばならないのもあって、中盤辺りまで若干、リズムに乗れない感じを受けていたのだけれど。途中編入してくる、遊び慣れたモテ男風のフィエロがクラスの連中を「クラブ」に連れ出す場面から、舞台では見せられない群舞的広がりが出たのも功を奏したのか、キャラクターの関係性の歯車も噛み合って。ストーリー展開とナンバーの絡みにもリズムが生じて、前半の山場まで食い入る事が出来ました。
「軽い」と思われて、そのまま目立つ存在のグリンダと何かしらあって退くかと見えたフィエロが、実は意外と学園、ひいてはオズの国の裏で起きている事を憂いており。エルファバに賛同する意向をみせる変わり様に、後半での活躍を期待するところだけれど。やはり主眼は、互いを認め合うに至ったグリンダとエルファバの絆の行方であり、前編のクライマックスに向けて、二人の掛け合いの歌で加速します。
学校内の寮部屋での「ポピュラー」から、曲名は判らなかったけれどオズの魔法使いの謁見前にお上りしたついでで都会巡りをするガールズパーティ的な活写は、去年の「きみの色」で、高校を育てのお婆ちゃんに黙って退学したきみちゃんの為に主人公トツ子が修学旅行をサボって、彼女を寮の部屋に招き入れて二人揃って夜を過ごす場面を見て来たのもあって、すんなりと受け入れられました。
そして、何と言ってもクライマックスでのエルファバの熱唱に惹かれる「ディファイング・グラヴィティ」の場面。客席からの目線の範囲内でしか表現できない舞台版では絶対に出来ない主役を塔の上から落下する姿を接写するうえに、エルファバの主観として幼少期の彼女を目前に見立てているのだ。「魔女はほうきに乗って空を舞う」という完成形を成す過程に並行して、異能の力の覚醒によって幼少期から抑えつけられていた自分を解き放って自らの力であらたな人生へと向かう意思表明もあるのだけれど、エルファバ役のシンシア・エリボさんの歌は心打ちます。アトで、彼女は「ハリエット」のタイトルロールを演じて、その年のアカデミー賞の最優秀主題歌賞にノミネートされていたのを思い出した次第。
本作の鑑賞動機の一つは、「クレイジー・リッチ」と「イン・ザ・ハイツ」を手掛けたジョン・М・チョウ監督作品にありました。前作に続いて、しかも前後編の大作を任されるほどのミュージカルもののオーソリティになりつつある。その「クレイジー・リッチ」で、成功した事業家としての矜持を体現して、カンフースターから女優への進展を見せつけたミシェル・ヨーさまが、ファンタジーミュージカルと云う事もあって、大作の「おも石」的な実力者が充てられるポジションに違和感なく収まって、オスカー女優の貫禄を恩師監督の元で発揮しているのにも勝手に嬉しくなったりしました。
拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
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