mixiユーザー(id:20808806)

2024年12月23日23:49

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「雨の中の慾情」を見て。〜デキるなら、貴女といつまでも〜

タイトルから触れたくない描写が過って、視界から押しやりたいと思われる方も少なからず居らっしゃるでしょうから手短に綴る事を心掛けます。さりとて、一昨年の劇場公開作「さがす」や、私は配信ポータルを特に契約していないのもあって目に触れてないけど「ガンニバル」の実績で今回台湾との合作となった片山慎三監督作なので、人間の暗部を掘り起こせども単なる下心を煽る濡れ場だけで終わる訳もなく。また、見る側の感受性やキャパシティの発揮をとても求められる。それは、どんな作品でも言えるとはいえ、「楽しませて貰おう」って受け身姿勢だけで臨むのは、お薦めしません。

過ぎ去りし古き良き時代に立ち並んでいたかのような長屋風の居所を借りている、売れない漫画家である成田凌さん扮する義男は、大家にしてはイカガワしさが隠せない竹中直人さん扮する尾弥次の言い付けで、自分の居所に出入りする森田剛さん扮する「自称小説家」の伊守を連れて大家の知り合いの引越作業に駆り出される。

家賃を滞納している義男は、断り様がなく搬出元の家に着きタイル敷きの居間に足を踏み入れると、肌着のまま水浴びをした直後に倒れ込んだのか、水浸しの為肌が透けてほぼ全裸に近い状態でうつ伏せに横たわる中村映里子さん扮する福子の姿が目に飛び込んで来る。離婚した直後と聴かされていた義男は、居間に放置されていたスケッチブックを手に取ると、福子の艶めかしい寝姿を夢中で描き止め始めるのだが、気配に気づいた福子は義男に「触らないで、スケッチするのね」と、咎めるどころか、スケッチを終えるまで寝姿をキープするのであった。

つげ義春氏の映像化作品は、「無能の人」しか見ておらず。それを手掛けた竹中直人さんが、敬意から一時映像化の続いたつげ作品の「顔」として出演されていますが、つげ義春氏の作品は、一度も拝読しておりません。本作のタイトルとなった義男が本能を発露させる件は、冒頭白黒の映像として描かれて。その義男が囚われた衝動から漫画に起こした原稿を編集者に送るのではなくて福子に渡す。白黒場面で、抵抗する女性に覆いかぶさろうとして避けられて、腹ばいにぬかるんだ田んぼに顔からダイブして、前面泥だらけで義男が立ち上がると、股間の位置に綺麗に棒で突き刺した穴が開いて。タダでさえ恥ずかしさ極まりない一部始終を拙い画で描いたものをわざわざ気になる女性に渡したりするものか。

可笑しみと腑に落ちなさが、所々散りばめられているのだけれど。伊守が、義男を巻き込んで、町内会報製作をダシに商店街の店主らからお金を巻き上げようとするあたりは、理想はあれども日銭の為に情けない生き方を送らざるを得ないつげ義春さんの作品では、ありがちな人物造形なのかと思って見ていたのですが。

この後の展開については、この駄文に目を通して興味を持たれた方のために伏せておきますが。目に留めていた世界観の足元が揺らいで来るので、作中の誰かに「目付」をしたうえで、浮遊するストーリーをご自身の意識下に引き寄せると、降りて来るものがある筈です。

古き良き頃の日本の街並みを連想させる建造物が残る台湾で、ほぼ全編ロケを敢行してこの世界観を創り上げておりまして。不穏な影に追われるかの商店街や街角での横移動だとか、郊外の空き地の一角と思われた場所が、耳を付銃声が響くや砲火が行き交う荒野の広がりを写すべく引きの動きだとかカメラワークも確かであったし、家賃は滞納しているくせに、壁一面に並んだ昭和初期を思わせる昔風の缶詰だとかの小道具の手の込み様とか、下世話な映像の終始と思わせながらも、映像の創造性は高いです。

冒頭の白黒映像にある劣情場面も、義男と福子の出逢いから不自然な漫画原稿の差し出しも、明日の生存も判らない義男の切なる「願い」の現れであり、それを福子もシッカリと受け止めているという、スケッチ画の扱いだったと。2時間の創り上げられた映像から導いた、私なりの答えでありました。

拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
シネプラザサントムーン 劇場��にて。

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