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2024年11月04日23:12

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「八犬伝」を見て。〜伝奇冒険大河クラッシックは如何に書き上げられたかを、クセ無く入り込み易くここに御開帳〜

作者の滝沢馬琴から画師の葛飾北斎に聴かせる、創作者として残された精力を注いで編み出す表題作の世界観をも映像で再現して、28年に及ぶ馬琴の閃きと藻掻きの創作の日々と、二つの物語軸で綴られた本編。デジタルによる合成映像の移行発端期に「ピンポン」を成功させた監督が手掛けるので、犬士達の活躍を映像として再現するのは、お手の物の筈だし。

滝沢馬琴を巡る現実ドラマには、「柱」である馬琴役にカンヌも認める名優役所さんを据えて。実際は馬琴よりも年上だった北斎役に役所さんよりも一回り年下ながら、去年も「春画先生」で風変わりな研究家に成り切っていた演技巧者の内野聖陽さんが並び立って。彼らを取り囲む人たちも、贅沢に力ある演者を配しているので、例え、VFXが多くを占める創造パートが見掛け倒しに終わっても、リアルパートが見応えを担保してくれるだろうと臨みましたが。

CМスポットでも推されている、切り立った城の最上階の屋根の淵に猛者同士対峙しているところに剥がれて雪崩れ落ちて来る多くの瓦が、波の様に戦う者達もろとも遥か下方の崖下に様に押し流そうかという、挿絵では伝わり難いスリルと創造性溢れる描写を編み出して。いにしえの伝奇冒険大河ロマンを綴るにあたり抜粋的に執筆内容を観客と共有補完すると共に、馬琴の執筆部屋が殆どとなる現実の味気なく見栄えの少ない場面と違う空間的広がりももたらして、見る人誰にでも共感と納得を与えてくる間口の広い作りで、薦めやすい作品であります。

但し、「八犬伝」の話自体は、大体が北斎に促されて馬琴が構想を語る体裁なので、ダイジェスト的になるのは致し方なく。冒頭、里見の藩が存亡の危機を迎えた際、人語を解し君主の娘、伏姫を背中に乗せて走れるほどの超大型犬の八房が、ハリウッド作品に劣らず整った毛並みと共にデジタル構成されたCGキャラとして現れるのだけど。いろんな意味で伝奇的部分も象徴していて、その巧妙なキャラ造形と共に活躍を詳しく見たかったのに、早々に「退場」となってしまって勿体ないし。

伏姫から放たれた八つの珠を持った八人の犬士が、一人また一人と現れて。初めの頃は、その人が持っている「特性」も触れられて。で、先に書いた芳流閣の対決場面も差し込まれたりするも、なんか、段々と犬士の特性と名前も自分には、おぼろげになって来て。大体が、馬琴の現実世界キャストと違って、フレッシュな演者で構成される八人の犬士の中で、認知できるのは板垣李光人君ぐらいだったかなぁ。藤岡弘ジュニアも朝ドラ「ブギウギ」の愛助さんも、八人集結してしまうと判別が難しいし。

「キルビル」でのセーラー服纏って鉄球をブン回していた栗山千明さんも、「八犬伝」の物語部分の敵役として、八犬士の若い男の子を痛め付けていたけれど、話の中でどうゆう風に「悪」の限りを尽くしていたかが見えず、クライマックスの大立ち回りの場面も、対決の「構図」というか、お城への潜入から、天守閣的な城内の天辺に追いつめて行く際の味方敵方の動きが見ていて平面的で。芳流閣の場面の様な、ダイナミクスさや、闊達な人物の動きが無く、狭い室内で、夜の暗さもあって余計枠にハメられた感が強まったのもあるかも致し方ないとは言え、もったいない印象も拭えない。

対して、「実」のパートと称される、作家馬琴の人となりと著作を綴る過程で「創作」の意義と作り手の苦心を描く場面は、役所さんと内野さんの丁々発止のやり取りから生まれるユーモアと同じ創作者としての気概のぶつかり合いの緩急で素晴らしい「基礎」が出来上がっている中に、馬琴の妻の寺島しのぶさんに、息子夫婦の磯村勇人さんと黒木華さんが係わってくるわけですから。余程の演出ベタがメガホンを握らされでもしない限り、見応えが無い訳がない。

教育が万人に行き届かなかった時代という事で、文字が「判る」人と、「判らない」人が居て、それによる隔たりが人物関係に生じる。それ故の断絶もあれば、それにも関わらず少しでも「偉業」の役に立とうと献身も見せる者も居て。馬琴の周辺には、焦点が当てられるクリエイターとしての彼の一面以外にも、今日に通ずる良い題材が、垣間見えるのだけれど。先の「八犬伝」のお話を見せるパートの尺もあるもので、深掘りのユトリが無くて。これも、勿体ない。

特に印象的だったのが、中盤、北斎の仕事の関りから、馬琴は歌舞伎見物に招待されて。そこで、「忠臣蔵 四谷怪談」の作者鶴屋南北と、互いの創作の意義を口頭で戦わせる場面でした。劇場の案内人に通されたのが、舞台下の「奈落」が据え付けられた地下で、舞台床下と装置の間の地下床に立つ馬琴からすれば、目線の上にある暗がりに包まれた「棚」の様なところからうずくまった姿勢から見下げるようにして話しかけてくる南北を演じるのが、すっかり演者付いている噺家の立川談春さんで、芝居小屋に住み着く、それこそ「歌舞伎座の怪人」さながら得体の知れなさ一杯で登場。「創作世界こそ正義が実現されなくてはならない」を信条とする馬琴に対して、「ままならない現実だからこそ、歪んだ虚を突き付けるのが創作」と南北は対抗して、馬琴の筆に迷いを生じさせる。

これは物書きに限らず、演者でも絵描きでも表現者なら行きつく問題である。どちらも、アリに違いない。その迷いを経て、表現指針が固まって作品として具体的なカタチが生まれるのでしょうけれど。馬琴の元を訪ねる、「八犬伝」の愛読者でもあるお武家様から直に、「作品に勇気づけられる」と伝えられて。自作を卑下していた馬琴が、ここまでの書き続けて来た事に手応えを実感する場面があるのですが。

折角、虚のパートに多くの若手を揃えたのだから、「虚」と「実」の壁をキッチリ保たずに、それこそ、どこぞのアメコミものみたいに時制の壁を自由に跨いで、創造つまりクリエイトする意義を江戸の現実の世界の中で、八犬士を泳がせる事で気付かせたらもっと面白かったかも。その時は、「THE FAST SLUMDUNK」みたいに、北斎が筆を走らしたら、板垣さん演ずる犬坂毛野が馬琴の執筆机に座っているとか。そしたら、もっと本編がクールになるかな。

拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
シネマサンシャイン ららぽーと沼津 シネマ1にて

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