ニューヨークで、臨時の音楽教師を務めているジョーは、ジャズピアニストとして活動する夢を捨てきれずに居た。とある日に、ジャズクラブに出演するカルテットのピアニストの代役オーディションに呼ばれ、リーダーの女性サックス奏者のお眼鏡に適い、ステージに立つ事が決まったのだが。嬉しさで注意力散漫だったジョーは、工事中のマンホール下に落下。目覚めると、「魂(ソウル)」となったジョーは、まさに天国に続くエレベーターに立たされ、召されようとしていたのだった。
念願を果たせなかったことに未練を残すジョーは、そこを抜け出し、これから地表に降りて「生体」を授かろうとする真新しい「魂」を導くメンターとして天昇を逃れて、自分の肉体に戻る機会を伺うのだが。そこで、彼に任されたのは22番と呼ばれる魂。地球上の名だたる偉人メンターを、ことごとく返り討ちにして来た22番は、「生きる意義が判らない」として、もう何百年も魂の世界に居座る問題児だった。ジョーは、22番の「転生権利」を譲り受けて、元の生活に舞い戻ろうと目論むのだが。
なんか、「パストライブス 再会」の前世からの繋がりとか、「生まれ変わっても一緒になろうね」じゃないけど、偶然にもリンクしてしまった。他人に目をやれば、本作でも生まれたての魂が「生き方」を定められる如く、あらかじめ引かれた道を目標に向っているようにも見えて。対して自身を比較して「生きる意味」を見出せず無力に苛まれ、肯定感が得られない方々も少なくありません。本作では、そんな傾向を22番に託し、心持ちを軽くすべく語られている。
22番が、地上に残されたジョーの身体に宿って。誤って、病室のベッドに横たわる彼に付き添っていたセラピー猫に入り込んだジョーの導きで、22番は、生身の身体を通じて生きる実感をそれこそ身をもって体験してゆく。外見はジョーだけど、中身は何も刷り込まれていない22番であるのがミソで。どうしても散髪しなくてはならない状況下で、ジョーの行き付けの床屋の椅子に無言でジョーの生体に入り込んだ22番は、膝に座る猫のジョーの指示で座っているのだけど。床屋の主人が、「はなからこの仕事をしたかった訳じゃないけど、家族も持てて、こうして今まで身の上話など聴かれたことのなかったジョーに話をできたのも嬉しい。」と語る場面は、ハートウオームな見せ場で御座います。
本来は、2020年に劇場に掛かる予定だったのが、コロナ禍で劇場の営業が見通せなかったのと、会社の事業方針により、劇場公開を飛ばして配信サイトに即あげられてしまった本作。それが、劇場再開後の興行成績の低迷を招いてしまったのだけど。この春、あらためて劇場公開する3本の内、締めを飾った本作。そういう経緯なので、通常の入場料より割安となっていました。2週間の限定なので、また、見られるのは配信サイトのみですが。
3Dモデリングのキャラクターを動かすアニメーションは、今や世界の潮流で、その道筋を作ったのが、本作製作のピクサーで御座いますが。強力ブランドだけあって、映像はもちろん、世界中で見て貰うのに、ストーリー開発にも時間をかけて、年齢、性別、国籍関係なく敷居が低く入り込み易い作品作りが信条。その国々で支障なく見て貰うようなローカライズも徹底していて。ニューヨークの街並みの、お店の通りに向けて掲げた看板の表記も「お洋服の仕立て、修理」とか日本語表記にすり替えられているし。家族を連れて見に来るのを想定して、お子さんの隣の客席から、「ここのお店はね」って親御さんが耳側でささやかなくても良い親切心の現れなんだろうけど。ピクサー作品は久しぶりだけど、あらためてこの親切な処置を目の当たりにすると、自発的思考も抑えられて、やっぱりこの手の配慮は過剰なんじゃないかなと思わざるを得ない。
先の床屋の場面とか、作品の目指すテーマに向けて、ストーリーの起承転結や、それに即したキャラクター設定も、ああだこうだと時間をかけて練っているのでしょう。死去から魂が召されて来て、その一方新しい魂が地表を目指す「冥界」的な場所の管理者が、ピカソが描くような正面と横面が合わさった線画表現で作られて。線なので、床の目地に沿って体を動かすとか、その辺りの視覚表現も流石でありますが。丁寧な話運びの中に、キャラクター達を物語世界に放てば、彼らが辿り着く先には、「報い」がある事をどうしたって望んでしまうし、見に来た家族なんかも、そういう期待感に膨らんでいると思うのだけど。
物分かりの良いオトナが、あらためて我が身を省みるってビターな鑑賞後の印象を、キャラクターのその後を見た人の解釈に託す宿題も添えて残してくれて。家族で見に来たら、映画を見た後の話が、弾むのであれば良いけれど。「再会」的な暗示を残すのも、これまた無理が生じるのだろうけれど。その辺りは、先に書いたような親切心は、介入しなかったりする。
何本か見たピクサー作品の吹替えのキャスティングには、キャラクターや原語版吹替え者から見出す共通点を踏まえられて、妙味を感じる配役も思い出されます。この点で異を唱えられる方も見受けられますが、日本国内でのPRを考えると、提供側としては、知恵の絞り処であり、外せないポイントでしょう。
原語版では、オスカー俳優のジェイミー・フォックスさんがジョーの声を充てているところ、日本語吹替え版では、浜野謙太さんが担当されました。黒人音楽に傾倒するバンド「在日ファンク」のメインボーカリストである出自から、黒人のジャズピアニスト役として、似通っているし。役者としての活動も堅実だし、良いんじゃないかって振られたのでしょう、多分。ただし、ジョーが歌唱する場面は無いけれど。情報管制で、脚本渡されずに、ジェイミー・フォックスの出演作をビデオで見て、喋りの役作りをしたのだとか。演者経験がものを言って、劇中、特にハズすことなく、振り回される場面が多いジョーを悪目立ちすることなくナチュラルに声を充ててらして良かったです。
22番の吹替えが、川栄李奈さんで、天界の時は、お菓子の「きのこの山」風のシルエットに幼子風な表情が付いているのは良いけど、人間界では、ジョーのなりですから、見た目的には吹替えの張り合いが足りなかったかも。原語版では、ティナ・フェイって方で、自分は、実写ではお目に掛かった記憶が無い。なんか、多くのコメディアンを輩出したサタデーナイトライブ出身、こっちで云うところのお笑い番組で、明らかに年齢的にもティナさんが先輩だし。こちらは、特に共通点は無く、起用当時の川栄さんの勢い頼みもあったのでしょうか。
もう一つ本作を見た理由は、ジャズクラブでの演奏シーンの期待にあったのですが。見る前にこちらは、サントラをリサーチしていて。あまり、演奏シーンで印象的だったとか、そこでスタンダードか、若しくは映画オリジナル曲を演奏する場面とかあるとかヒットしなかったので心づもりは出来ていたのですが、やはり、一曲でも、ピシっとステージで決める場面がなかったのは惜しかった。
でもキャラクターごと担当を分けているシステムだと聴きますが、ピアノの指運や、サックスやドラム、ベースの弾き手全身の動きの再現は、さすが大スタジオのお仕事。なめらかな動きで、雰囲気は出来上がっていました。ただ、予算が少ない分、動きのギクシャク感は否めないけれど、「BlueGiant」の様な熱量は無いし、演奏を通しで見せてない分、ソウルもブルースもグルーブも響いてこず、そこも残念。
拙文にお付き合い頂き、有難うございました。
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