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2024年04月07日22:56

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「オッペンハイマー」を見て。〜現在にいたるバランスとは名ばかりの滅亡の淵が、人類の滑落を待つ崖道。それは、政治的力に踏み潰された学術への好奇心と偲ばれざる他民族の痛みから始まった。〜

我国を除いては、ほぼ公開済のこの作品が、全体的な支持評価の波を受け誰にも通じる「箔」であるオスカーゲットのお墨付きを得て、世界最終興行とばかりに半年以上の空白を経てやって来た。その間映画専門媒体で、近隣国に出向いて見て来たメディア記者の評伝から、被爆国として「覚悟」を持って臨まねばならない旨を読みかじって、来たる鑑賞日に備えておりました。

実在の人物そして全世界にとってインパクトのある題材を持って最高監督の名声を得たクリストファー・ノーラン氏は、同業の先輩達からの絶賛の中にも、被爆地の惨状を挿入して事の「重大さ」を提示すべきだとの表明も謙虚に受け入れつつ、この原爆開発者の「視点」で貫いた製作信条を丁重に表明されている。確かに、本編中に、原爆実験の成功を受けての実戦投下の目標選定において、「苦渋の決断」ではなく、「何の気なし」に抽出されて。かえって、落とされた国の悲惨な被害からすれば、敵国とはいえ民間人への尊い犠牲に、全く思いを馳せない態度に愕然とするも、第二次大戦の開戦時には、我が国も予告なしにアメリカ領土を空襲していた訳で、交戦状態となれば、相手の犠牲よりも怒り憎しみの感情が勝るわけだから原爆投下のプロセスも、脚色の度合いがあったとしても想像に難くはない。

作品は、原爆の父が、マンハッタン計画の中心人物として米国政府に迎え入れられて、彼の知識研究を実証の末、原爆が実戦投下されて第二次大戦の終結を迎えると同時に、絶対的兵器によって、全地球に危うい「均衡」をもたらしたまでを追うのかというと、そうでは無い。

オッペンハイマーの半生と、先の原爆製造と投下までをカラーパートで見せて。第二次大戦後に開かれた、彼に掛けられた政治的容疑を追求する「聴聞会」と、更にその後行われた、オッペンハイマーをそもそも米国の研究所に招き入れた原子力委員長のストローズが商務長官就任に相応しい人物か値踏みする「公聴会」の二つの時制が、白黒パートで入り込む。

映画のはじまり当初は、作品の行く末を暗示するものとして、この3つのパートが交差する。時制の行き来については、目先の変化がリズムとなり、進行につれて俎上にあがる原爆の父の人物像が見えてくるので、作品への関心を薄れさせることなく進行について行ける。

あくまでも、原作本も踏まえてのノーラン巨匠のビジョンによるものだが、描かれるオッペンハイマー氏は、研究者としての知識は勿論だけれど、専攻分野以外への外国語での研究発表とか、後に彼を追い込む事となる政治体制として共産主義を学ぶためにグループに近づくとか、旺盛な修学欲。そのあり余る生命力は、女性に対しても振り向けられて。

その反面、屈折した小心者であるのが、大学教授への毒リンゴ報復未遂とか、愛人の自殺事故に思いを馳せる際の不都合な事実を自ら葬りたいのか女性の首に黒手袋をした手を掛けるイメージが入ったりとかして露わにされる。極めつけは、「聴聞会」で、小部屋で、担当者から、ただれた女性関係について、質問を浴びせかけられた際に、聴聞席に座らされる自身も裸にされた心境の現われで、愛人役のフローレンス・ビューが一糸まとわぬ姿で向かい合って彼の脚に跨るイメージが挿入されて。巨匠の作品に出るなら、部屋に置かれたコーヒーメーカーとして映るのでも構わないとかビュー様は、おっしゃったそうですが。大画面に大きくハッキリ若さと輝きに満ちた肢体を見せつける大貢献で応えられて。

全く、思いもよらないIMAXの大画面恩恵もありましたが。マンハッタン計画の現場に辿り着くまでの、人類にもたらしてはいけない「火」の着想を得るイメージや、ハイライトであるトリニティ実験場で、原爆の威力を彼はじめ関係者が目の当たりにする場面など、あくまでも映画での視覚効果の範囲内とは言え、全世界に、終末をもたらす「大火」の威力の映像表現は、その場でなければ得られない映像体感ではありますが。

第二次大戦後は、僅かな回想場面以外は、「聴聞会」と「公聴会」の進捗となります。そこに係る、関係者が、東洋人からすると、見分けが付けにくくて。勿論、見る側の体調管理が悪かったのもありますが、正直、見どころのヤマを越えたのもあって、関心が、作品から遠のきかけたのも否めません。

本作で好評を得る前からIMAX提唱者として、専用カメラを開発使用してきた巨匠作品なので、画像構成の規格ベースは、IMAX画面ですが。先の原爆実験の経緯とか、音響効果も突き詰められた専用劇場で見られるに越した事はないですが、後半部分が、オッペンハイマーに限らず、権力組織に係る人達の闘争のドラマになるので、巨匠の作品構成に注視するのであれば、大画面から切り取った画角となるも、通常上映でも十分かと思います。

オッペンハイマーの人物像は、実際の原爆投下の惨状の提示にも目をくれずに、彼の目線で語る非情な判断の甲斐あって、こちらも幾つか思い馳せる事ができました。自分には冗長と捉えざるを得なかった後半の中に、アインシュタインと語った頃を回想する場面があって。

純粋に、専攻分野への探求心から自身の理論を突き詰めて、それで満たされ、今後の学問の発展への貢献を思い描いていたのが、国家だとか、体制やシステムと云ったもので祀り上げられた瞬間に学者は終わってしまう趣旨の発言をアインシュタインが、彼に語るところで、この批判を容易く呼びかねない厄介な人物をモデルに作品を製作した主旨を汲めたとしたい。

それに対して、この二人が話し込む様子を遠巻きに見て、疎外感を抱くストローズは、ただの嫉妬深いチッサイ輩にしか見えなくて。役柄としても、全く、評価の対象にはならなかったのでした。あくまでも、自分の主観ですが。やはり、実在の人物でそれがシリアス度を増すほど支持はあがるのを実証されました。

拙文にお付き合い頂き、ありがとうございます。
シネマサンシャインららぽーと沼津 IMAXシアターにて

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