エルヴィス・プレスリーと云えば、本作でも勿論、出てきますが、70年代に纏っていたジャンプスーツ。彼の生き様とは全く関係のない作品の中でも、アメリカンカルチャーの象徴として垣間見られました。
その衣装にあしらわれた、装飾用に打たれたスタッズ鋲を散りばめた本編のオープニングタイトルは万華鏡のようにも映えて。前作「華麗なるギャツビー」に続いて、豪奢でグラマラスに、稀代のエンターテインナーの熱演を確信させる滑り出し。
ロックンロールが、「不良の入り口」とされた時代を知らず、あらゆる音楽を享受できる今の子には、1950年代に訪れた、ポピュラー音楽の夜明け、黎明期の訪れにあたる本編冒頭の若きエルヴィスの音楽スタイルが、会場の座席にそれまで慎ましく収まっていた若い聴衆、特に女性客の奥底に秘めた衝動を呼び起こして、ピンクのオーバーサイズスーツを纏った無名の若者から発せられる歌声とダンスに煽られ、ステージに押し寄せる様子自体に、目新しさや特段の感情も、もしかしたら覚えないのかもしれない。
これが、単なるアーカイブ映像だったら、「そんな時代だったね」の郷愁で終わっているところ。映画を、その時代への入り口として、その当時にエルヴィスが降臨した瞬間を「体感」させてしまうだけの、セットに衣装に、音楽に、熱狂する聴衆たちから、何よりステージアクトの主役まで、徹底的に、念を入れて再構築してしまう創作力。戦闘機にカメラを乗せてドッグファイトに誘うのとはまた違う、この没入感には、ハリウッド作品の底堅さを思い知らされる。
更に、ここのシークエンスでは、単に、「スター誕生」の現場を示すだけでなく、彼の生立ちをフラッシュバックさせる事で、ブルースやゴスペルと云った黒人音楽を、自身が、かみ砕いて表現した、エルヴィスならではの音楽スタイルである事と、彼を、アメリカの片田舎から、全米、そして全世界に知らしめる、興行主トム・パーカー「大佐」との奇跡的な出会いであり、彼の音楽がもたらす「富」の為、エルヴィスの音楽表現の「芽」が摘まれる将来を決定づける事となる、まさに運命的な一夜。
バズ・ラーマン監督は、これまでも音楽を絡めた作品を何本か、手掛けて来られてきたけれど。それまでは、短いカットを重ねて、その勢いにまかせて駆け抜けていたところがありました。これだけの重要な要素を盛り込んでいながら、既に、散々巷では流れていたエルヴィスの音楽の「おもみ」を、作品のキーとなる「うねり、グルーブ」に集約させた辺りに、キャリアを重ねた熟練ぶりが、伺えました。
時代を湧かせたミュージシャンの「伝記もの」が、幾つかあって。中には、当事者が製作の主体となっているため、本人達の主観で描かれているのに、功罪があったりしますが。本作は、知っている様で、私は全く知らなかった、トム・パーカー大佐の目線で、語られていて。2時間半の尺も、弛まず見られるうえに、与えられる感銘も深い。
音楽シークエンスで、充分、魅せつつ、一方で、エルヴィスとの出逢いによって、互いに「富」がもたらされて、後世に残る楽曲によって、我々も楽しませて貰えた一方で、私生活では、それぞれに「破綻」を招く。そして、なにより、パーカー大佐の罪深さは、「金ヅル」のエルヴィスを手放したくないのと、自認のとおり「音楽」への無理解のために、彼の可能性を断ってしまった事である。
これも、私の無知でしたが。去年見た、ドキュメンタリー「サマー・オブ・ソウル」の出演アーティストとして、顔をみせていたBBキングが、本編では、役者が演じるキャラクターとして、エルヴィスと交流を温めていて。キングは、「自分の思うまま、好きな場所で、演奏する」と、彼に吐露していたのとは対照的に、国外公演の機会をパーカー大佐にウヤムヤにされて。そして、同じく「サマー〜」に出ていた、ゴスペル歌手マヘリア・ジャクソンと、本作の中で、黒人音楽に精通している縁もあって、エルヴィスとの共演も幻に帰した。タラレバは、あり得ないけれど、これ程短い生涯で終わらずに、後世に残す曲も、更に増えた可能性もあったのかもしれない。
パーカー大佐に扮した、トム・ハンクスは、主役作品では、「アメリカ人のあるべき姿」を見せるのに対して、脇にまわると、途端に黒くなるというか。悪徳ぶりを、見せつけるうえに、時々、世の中を知り尽くしたかの狡猾さ溢れ、説得力あるセリフを吐く。冒頭の、彼を見出す場面で、「人は、見てはならないものに惹かれる」と。山師の経験があればこそ、口をついて出る。エルヴィス本人や親族の取りなし方や、ラスベガスのホテルで、彼のショーの専属契約を、公演の最中、取り付ける辺りなど、見ていてゾクゾクしてくる。ヒュー・ジャックマンが、見世物小屋の興行主に扮して、醜悪な魂胆を、感動にすり替えたのと違って、本性に忠実な分、素直に受け取れました。
劇中、トム・ハンクスから、「音楽については、判らなかった」と表明がありますが。行き場と新たな音楽創作の道も断たれながらも、あのジャンプスーツを纏って、ホテル専用のステージで熱唱する姿を見ていると、「ファンから得られる愛に、貪欲だった」と、パーカー大佐が評した言葉が、重みを増してきます。
それは、稀代のエンターテインナーになり切ったオースティン・バトラーの献身あってこそですが。まだ、若手かと思いきや、もう30歳と、演者として油がのりかかった頃あい。本編では、スターになった故、アメリカでの人種政策との政治的軋轢も描かれますが。パーカー大佐含め、体制の御意向にそって事を穏便に収めようと周囲が仕向ける中、激しいステージアクトをしない様に、「指一本、動かすな」の命令に反抗して、カメラの前で、頭上に掲げた小指を曲げるやいなや、ステージで過激な振付をみせた「トラブル」を歌う場面は、彼のルックスも、妖しく映って、特に、惹かれた場面でした。
拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
シネマサンシャインららぽーと沼津 シネマ9にて
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