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2022年03月27日01:19

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「十五の夏」佐藤優:著

「十五の夏」上・下 佐藤優:著 幻冬舎文庫

前にマイミクさんが感想を書いていて、それで興味を持ったので読んでみました。

佐藤優氏は、15歳つまり高校1年生の時に夏休みを使って当時共産圏だった東ヨーロッパおよびソ連へ一人旅をするのです。…と聞くだけで「え?!?!」と思ってしまいます。一人で?15歳で?それも東欧にソ連?!?

そこに至る事情は途中で詳しく書かれています。
そもそも中学生の時から短波放送で外国の放送を聞いていました。外国と言っても、日本向けに日本語の放送をしているのです。そして手紙を書くと聴取者カード(ベリーカード)を送ってくれるのです。こういった短波放送のことはなんとなく知っていました。私は北京放送を聞いたことがあります。佐藤少年は、モスクワ放送局に報告書を送ります。そうしたら、ベリーカードだけでなく地図やモスクワ案内などの冊子が送られてきました。それから、年末にクイズ大会があってそれに応募すると賞品として美術館の画集、切手集、LPレコードが送られてきました。それを見ているうちにもっとソ連のことが知りたくなり、東京のモスクワ放送局まで行きました。
そうしたら、その頃は丁度モスクワ放送のリスナーズクラブを作ろうという計画が始まっていたのです。そこからさらに日ソテレビの社長を紹介してもらいます。
その社長が言うには、日ソ関連の友好団体は政治色が強い、共産党関係のものが多い。しかし政治に関係のない一般人がソ連のことを知ることができるような団体を作りたいという。
そうして「日ソ友の会」が発足し、佐藤少年も入会します。

そこで言われた言葉が特に印象に残りました。
「ソ連に関心を持つことと、ソ連にかぶれることは違う。ソ連かぶれには絶対なってはいけない」
日本とソ連は隣国なので、好き嫌いに関係なくソ連のことをよく知る人を養成しなくてはならないということです。ソ連かぶれになってしまうとソ連に利用されるだけです。ソ連に対して冷静な判断もできなくなります。

こうした経緯で、ソ連に行くにあたってモスクワ放送局の人を紹介してもらいます。

また、佐藤少年は海外のペンフレンド募集に応募していました。これも当時はそういうものがありましたね。学校で習う英語レベルで外国人と手紙のやり取りをする。この時偶然にハンガリーの少年とペンフレンドになりました。そのペンフレンドを訪ねたいという思いがありました。

そうしてハンガリーを含む東欧とソ連へ旅行する下地ができました。
そして高校に入学したお祝いに夏休みの旅行をプレゼントしてもらうことになりました。
しかも、佐藤少年が東欧へ行くというと「若いうちに体制の違う国を見ておくのはいいことだ」と肯定する大人がけっこういるものです。
それで本当に出かけてしまうのがすごいです。

まず最初に飛行機に乗った時に、隣の席になった六本木の社長さんがいて、旅慣れた人でいろいろとアドバイスをしてくれました。
この旅行を通じて、佐藤少年はいろいろな人に出会い、様々な体験をします。なるほどパックツアーではできない経験ばかりです。
旅程としては、飛行機でチューリヒに行き、ミュンヘン、シュツットガルトを経てチェコスロバキア(当時は一つの国だった)に入ります。それからポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ソ連です。社会主義の国だからといって不自由で暗い国だというイメージはすっかり覆されました。人々は親切で食べ物はおいしい。ポーランドでは食堂で居合わせた男たちに英語で話しかけられ、そのうちの一人に家に来るように誘われました。

そしてペンフレンドのいるハンガリーへ行けば、周りの人たちがとても親切で、食べ物もおいしいし、社会主義だからと言って物資に不自由は特にない様子。もちろん、ソ連はみんな嫌いですが、自国の政治には特に不満がないようです。

そういったことで、日本でイメージしていた社会主義国とはずいぶん違う、実際に来てみないとわからないことがあるということを実感するのです。
でも、観光に興味なさすぎです。観光を勧められてもパス。でも歴史的建造物ぐらい見ておきましょうよ…。ブダペストなら王宮の丘とかマーチャーシュ教会とかイシュトヴァーン大聖堂とか国会議事堂とか見ておけばいいのに。

それからルーマニアへ行きましたが、ルーマニアだけは、国民に対する抑圧がひどい国で、外国人観光客にも冷たかった。他の東欧諸国と全然違っていた。これも現地に来てみないとわからないことでした。

そしてついにソ連に入ります。
ソ連の国内では、日本で予約していた通りの交通機関に乗り、決まったホテルに泊まります。現地の案内人が付きます。
ここのホテル事情を見ていますと、私が最初に中国へ行った頃の事情と似ていると思いました。
おおざっぱにいいますと、社会主義国ではどこのホテルも基本的に全て同じレベルで同じサービスを提供することになっています。食事の時間やメニューも限られています。観光客はホテルを選ぶことができず、現地で割り当てられたホテルに泊まることになります。しかも、カギを受け取ることはできず、各フロアに鍵係がいて、その人に開けてもらいます。
さらに、中央アジアでは各都市に外国人観光客が泊まれるホテルは一つしかない。これも一緒。

佐藤少年は、観光はあまりしませんでしたが、モスクワ放送局を訪ねていき、丁寧に対応してもらいました。しかもインタビューを収録することになりました。

モスクワを出ると、次にはウズベク共和国に行きました。そこから飛行機でハバロフスクへ行って、ナホトカから船で日本に戻るのです。
飛行機で行くなら、モスクワから直接ハバロフスクへ行ってもよさそうなんですが、どうして中央アジアへ行こうとしたんでしょうね。
サマルカンド、ブハラ、タシケント…私も行ったことがありますので、実感を持ちながら読める部分もありました。サマルカンドには到着が遅れたので素通りしてブハラに飛びました。ブハラでは珍しく観光をして、私と同じような所へ行って、カリャーン・ミナレットで同じような説明を聞いていた…。さらにタシケントに行きましたが、泊まったのはホテル・ウズベキスタン。私が泊まったホテルです。外国人観光客向けのホテルだからでしょう。そして市内観光ではナボイ劇場(ナバーイー劇場)に行きました。日本人はみんなここに案内されます。

それにしても、本当に普通の人ではできない旅行をしましたね。特に現地の人たちとの交流が興味深かったです。今ではこういった経験はできないでしょう。

また、当時の東欧諸国のイメージも、今ごろになって一般的なイメージとそんなに違っていたのかと驚きました。
旅行自体もすごいですが、当時のことをこれだけ詳しい旅行記に書いたのもすごいです。

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