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2019年12月17日15:08

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何故生き、何故死ぬ

12月16日
月曜日。
朝は6時半に起床。
いつものように暖機運転(笑)を始めていたら、
階下のお袋様から「入院中の伯母が未明に亡くなった」と聞いた。
母方の本家の伯母は、色々あってあまり親しく交流していなかった。
行年も90歳。「順序」であろうと思うのだが、感慨がなくはない。
とにかく、本家は長男(私の従兄)が一人だけなので、
お袋様とすぐ上の伯父夫婦が手伝いに行った。
その足(送迎運転手)を自分が努める。
今日の夜に通夜式を行うので、朝・夕・夜と三往復。
気力に自信もなかったのでデイケア(半日)も休んだ。
(その分待機時間で年賀状(260枚)の印刷を完了させたが)
それにしても、通夜や葬式に行くと、どうも余計な事を考えてしまう。
人は死ぬと何処へ行くのだろう。
極楽浄土か、天国か、ヴァルハラか、神の国か、それとも地獄か。
どのようになるのだろうか。
来世には何かに生まれ変わるのか、六道を輪廻するのか、神になるのか。
それとも「死んでしまえば何もない」のか。
だから生きているうちに名を歴史に残すよう励むべきなのか。
考えていたら頭と胃がおかしくなってきた。
自分には精進落としが必要らしい。369へ行こう。


自分は「情状酌量」を考慮した妥当な判決だと思う。
ただ「息子の処理は英断」とまでは思わない。
法に反してまで個人に責任を負わせない為に社会制度はある。
自らの手で息子を殺める前に、警察や病院に相談すべきだった。
更に、息子の方が「反社会性」が高かったのは間違いないが、
「将来の危険」は「現在の処分」の理由にはならない。
ヒトラーが美大の落第生だった頃、彼を殺した者がいたら「英雄」だったろうか。
それと、今回の裁判に「寛大な処置を」と主張する大半が、
近頃続いた「責任能力への疑問」や「手続きの不備」に対する
死刑判決の減刑及び破棄、更に過去の判例により
犠牲者が一、二人では死刑判決が出ない現状に対して
「殺人者は死刑でOK」「加害者に甘い」と批判的であるように思われる。
その論理的非一貫性に気付いているのかいないのか(苦笑)。


元農水次官 長男殺害で懲役6年
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5903907
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