昨日のつぶやきで紹介した映画だ
しつこく紹介する
恥ずかしながら久しぶりに映画を見て泣いた
わあわあ泣いた
それぐらいきつい映画だ
ボスニア戦争は比較的最近の戦争で
なんか印象ではついこの間って感じだ
しかも 戦争のほんの少し前には冬季オリンピックが開催されている
ようするに 戦争の寸前まで近所同士仲良く暮らしていた人々が
むごたらしい殺戮をおたがいにやりあったのだ
その残忍さは 到底普通の人間が耐えられるものではない
殺す側も 殺される側もだ
そして人間はそういうのが好きだ
民族浄化みたいな行為が大好きなのだ
いくら自分はそういうのは嫌いだといっても
マクロとしての人間の反応は「虐殺大好き」だ
それを認識しないと憲法は語れない
この ろくでなしの生き物を縛るためには立憲主義という一種の独裁が必要不可欠なのだ
眼の前の子供を殺さないために必要なのは憲法という独裁だ
多数決での間違いを繰り返さないためにも
殺しの本能を持つものの多数決など絶対に避けねばならない
おそらくウクライナでも映画と同じような惨劇が繰り返されているだろう
ガザでも同じことだ
ていうか延々と同じことを人間は繰り返している
憲法をいじるということはそういう全てを考えるということだ
ただ 人間の多くは 自分を全量であたまがいと思い込んでいる
とんでもないw
おれもあなたも畜生だw
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