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2023年10月26日00:27

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「ブギウギ」に思う

10月に始まった朝ドラは、笠置シズ子をモデルにした「ブギウギ」です。
笠置シズ子は松竹少女歌劇団(現在のOSK日本歌劇団)の出身で、戦後退団してからは歌手になって「東京ブギウギ」などのヒット曲を生み出しました。

松竹少女歌劇団は最初松竹楽劇部として1922年に設立され、1923年2月に中之島中央公会堂で第1回公演が行われました。その年の5月には道頓堀に松竹座が完成し、こけら落とし公演「アルルの女」が上演されました。

笠置シズ子は「三笠静子」の名前で1927年に13歳で入団。「日本八景踊り」で初舞台を踏みました。
…洋物じゃなかったんだー。
朝ドラは実在の人物でも名前を変えてフィクションとして描かれます。その方が自由に物語を作れるのでしょう。
でも1927年と言えば、宝塚少女歌劇で「日本で初めてのレビュー」である「モン・パリ」が上演された年。まだ日本でレビューは上演されていないはずです。カッコいい男役が出て来るレビューのような舞台でいいのかな。

…と、思ったらスズ子役が大人になって6年後も同じような舞台をやっていた。同じでいいのか。初舞台の方は最初に出てきた蝶のダンスみたいな素朴なものにして、6年後に豪華レビューに進化していた、みたいな変化があったらいいのに。

1920〜30年代の大阪は、周辺の市町村統合で人口が増え、「大大阪(だいおおさか)」と言われるようになりました。1923年の関東大震災で東京が壊滅すると、文化人や芸術家が大阪に逃れてきて、文化的にも発展します。そしてこの時代はモダン文化が花開いた時代で、「モガ」や「モボ」が街を闊歩し、ダンスホールやカフェーや映画を楽しんでいました。
そういった時代に大阪で生まれたのが松竹楽劇部です。

もちろん、少女歌劇は宝塚が嚆矢で、宝塚少女歌劇が人気になると、全国に少女歌劇団ができました。その中で松竹はもともと映画・演劇の興行会社で、新しい「楽劇」を作ろうという意図で創設されたのが松竹楽劇部です。松竹座は芝居の街道頓堀にあって、それまでの芝居小屋とは全く違う豪華な宮殿のような洋風建築で、完成した当時はさぞ当時の人の目を驚かせたことでしょう。

その点、梅丸少女歌劇の劇場は松竹座に比べてショボいなーと思ってしまいました。周りの街並みも、もうちょっと華やかな雰囲気にしてほしいなと思いました。とにかく道がせまく、せせこましくて場末の繁華街みたいです。

ともかく、少女歌劇はレビューの時代に突入すると、松竹楽劇部でも豪華絢爛なレビューが上演されるようになります。OSKが100周年を記念して出版した「OSK日本歌劇団100年誌」には、この当時の舞台写真がたくさん掲載されており、写真を見るだけでも豪華絢爛なスペクタクルレビューだということがわかります。

放送ではラインダンスで拍手喝采を浴びていましたが、今もOSKのラインダンスはスピーディで迫力があって見ごたえがあります。

松竹楽劇部は人気も上がり、「歌の宝塚、踊りの松竹」と並び称されるほどになりました。
宝塚は「小さな湯の街」、郊外の山間の温泉に作られた少女歌劇です。それに対して松竹は大阪の興行街のど真ん中に生まれた「都会のレビュー」なのです。

ドラマでもこの時代のモダンな雰囲気がもうちょっと出てたらいいのに…なんて思います。

ついでに、松竹楽劇部は1934年に松竹が買収した千日前の大阪劇場(通称ダイゲキ)で興行を行うようになり、その時に松竹少女歌劇団と改称し、略してOSSKというようになりました。1943年に大阪松竹歌劇団、略して「OSK」になりました。「OSK日本歌劇団」が正式名称になったのは1970年です。
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