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2021年02月14日05:19

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風林火山伝 第15話 築山御前の覚悟

話をもとに戻し、浜松城での石川数正と築山御前が一夜をともにしていたとき、築山は、織田信長と徳姫のやり取りした一通の書状を数正に見せた途端、数正は顔色を変えたのであった。その書状には、亡き松平信康の謀反の疑いに加え、数正と築山が禁断の関係にあることが触れられていた。そして、築山は、「既に信長は二人の禁断の仲のことを知っており、いずれ、信長より徳川家康にこのことを知らされ、家康は数正を処分する。そして、徳川家は危機の状況にあり、武田軍と同盟を組むのが徳川家が生き抜くただ一つの道である。」と説得したのだった。そして、築山は数正に浜松城を乗っ取り、家康が浜松城に戻ってきたとき、武田の軍旗を揚げ、家康を孤立させた上で、武田軍に寝返らせることを強要すべきだと諭した。

数正は、主君 家康を裏切ることには躊躇を示し、築山の誘いにはなかなか乗らなかった。そして、ついに築山は、強硬手段に出て、「もし、この案に乗らなければ、今までの二人の禁断の関係のことを家康に正直に打ち明けるとともに、この禁断の関係の始まりは、数正からの誘いが原因だ。」と言い、その後、「亡き息子 元康の後を追い自害する覚悟である。」と脅した。数正は、築山の脅しになすすべもなく、とうとう主君 家康を裏切り、武田軍に寝返ることを築山に約束したのだった。

一方、家康は浜松城に西にある新居にて武田勝頼の軍勢3千と応戦していた。形勢は勝頼軍が有利で、どんどん家康軍を追い詰めていき、勝頼軍の騎馬隊は大将 家康目掛けて突進していった。勝頼軍により家康が討ち取られるのは時間の問題であった。そんなさなか、西の方から武田軍の旗を掲げた一騎の早馬が近づいてきたのであった。
                                    
                                    つづく


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