mixiユーザー(id:1940449)

2019年09月05日01:53

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保守のポピュリズム 8前振りw



話はややこしい方向へw

科学的方法論というか思考の方法論として
「帰納」と「演繹」がある
帰納は多くのデータの中から一般的な法則性を導き出し
それを元に蓋然性の高い結論を見出す
演繹は普遍的な前提となる仮説を設定し
その仮説が正しいと証明されればその仮説が定理となり
他の事象にも応用することができる
ざっといえばそんな感じだ
他にパースの主張したアブダクションがあり
仮説を見いだす方法として思考の方法論となっている
アブダクションとは思いっきり簡単に言ってしまえば
ある一定の現象が起こっている状態から
もしかしたらこういう理由なんなんじゃないかと法則を閃きで持ってきて当てはめる
そんな感じだw

まー この辺りは精密な話をするときりがないので
ええ加減にほったらかすとしてw

数学なんかでは主に演繹を使う
社会科学なんかは帰納を使い
どっちの場合も多かれ少なかれアブダクション的な仮説形成の方法は使われる
文化人類学や進化学なんかだと
どうしてもサンプル数に限りがあるのでアブダクション的な仮説形成を重視して
つーか他に方法がなくてw そこから演繹を行うという方法論になる

科学史や思想史的には
19世紀くらいまでが演繹でなんとかしようと考えすぎて
形而上学みたいなのは発達したけど そこから先になかなか進めない状態だった
で もう形而学は終わったなってんで
科学の発達や学問の大衆化によって大量のデータを使った帰納を使った推論に移行する

ここでテーマ的に問題になるのは社会科学系の方法論になるけれども
社会科学はほとんど一貫して帰納を使い推論を立てることになる
社会科学自体が比較的新しい分野だということもあるが
経験哲学の影響が強く
人間は生まれた時は「タブララサ」状態
白紙状態で のちに社会からの刷り込みによって慣習や道徳観念を身につけるとされていたからだ
よって 根本原理のような そこから演繹できる人間の本質というものはなく
大きなデータから全体の蓋然性の高い法則を見出し
それによって結論を得るという推論方法が中心となる
しかしまー この推論方法は
確実に間違う可能性を有している
しかも 何故にそうなるのか?という大元の理由はわからないままとなる
つーかそんなもんない と言う立場だ

まー 
ナチスは 生来的な人間の違いを強調して大虐殺を行ってしまった
なんて事もあって強烈な実証主義が社会科学を牛耳ることになったが
実際にはこう言った科学史や思想史の流れは
大衆の発生や科学技術の発達
あるいは他文化との接触の中で生まれてきたものであって
必ずしも うんうん思索した結果として出てきたものではない
それが証拠に
電子顕微鏡やコンピューターの発達で
近年は随分と変化してきている

なんのことを書いてるのか全然関係がつかめないと思う諸兄も多いと思うけれども
とりあえず続くw
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