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2019年06月17日10:12

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社会はなぜ右と左にわかれるのか5.香港デモについて

ジャッキー・チェンと写真を撮った日本の芸能人が香港を含む世界から非難を浴びたというニュースが流れた
ジャッキー・チェンの愛国者ぶりは数十年前から隠してもいない彼の思想なので このタイミングでなんと無神経なという批判だ
彼は別に強烈な共産主義者というわけではなかろうと思う
ただ単に中国という土地と中華民族という共同体に強烈なシンパシーを感じているといったところだろう
そういう意味では 彼は中国人として右派だと言われる
中国人が中国人のアイデンティティーを主張したからといって共産主義者というわけではない

政治思想は人間の判断において表層部分の後付けの理由だ
より本質的な感覚として善悪・正否の直感に影響を強く与えるわけでもない
しかし 他の共同体からすれば
その政治思想が直感的な好悪の基準になりうる
自らの思想であるとみなしている思想に反する隣国は共同体に対する危険度が大きいと感じる部分も多い
元々近隣にある他の共同体は人間にとって仮想敵であって油断はできない存在と映る

不思議なことだが
国家ばかりではなくもっと小さな共同体である県や市町村・自治会区分などでも同様な真理は働く 極端に言えば家族という最小の共同体ですら 仮に隣地境界線で揉めたりすれば その家族の直感は「それは私の共同体のものである」というまとまった直感から論理を成り立たせる場合が多いだろう
あくまでも最初の直感は自らの共同体が有利な方向に影響される
そこから始まって それに都合のいい論理を形成し
その論理が出来上がってから 自らの判断は合理的に形成されたと本人は思いこむ

そういった思考形成のメカニズムはそこに矛盾が発生したとしてもさほど気にしない
普段 自由や人権を主張する国内デモに対する批判を行っている人々が
香港の自由民主主義を守るというデモに対して賞賛を送るというのも
なにやら妙に見えはするが
元々の「直感」は共同体内部の異質な存在に対しての好悪であって
思想的な部分は表層の後付け論理であるために
それを変更して新たな論理を香港デモに対して作り上げようとも本人にとってはさほど問題とはならないし それを指摘しても影響はない
日本においては自由と人権の保護は名目上圧倒的多数が承認した論理であって
それに反する言論は懲罰の対象ですらある(昨今の国会議員などの問題発言が良い例だ)
そうした中で
自らの直感’(隣国に対する不信)を合理化し論理を瞬間的に作り上げるには自由と人権は援用する理論として非常に都合がいい
普段 人権に対し批判的で情緒的な愛国発言をしていても
その矛盾は問題とはならないし 指摘してもその論理自体が共同体において承認され圧倒的な支持の下にあるからと言う理由で 論理自体に不整合はないので崩れることはない

政治が理性ではなく感情で成り立っていると言う好例ではある


続く




■香港で再び大規模デモ 政府の「撤回しない」に反発
(朝日新聞デジタル - 06月16日 19:43)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5665930
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