mixiユーザー(id:1940449)

2019年05月29日01:46

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ユダヤ教と神道 3

ユダヤ教にとって モーセの十戒は重要なもので
その内容も周知されているように思う

しかし そこでの受け止め方は
我々日本人にはなかなか伝わりにくいところがあるようにも思う

十戒は日本語に翻訳された言葉で
その意味は十の戒めとなってしまうが
原語に近い形では「10の言葉」との意味だ
あるラビの言うところでは
いわゆる神との契約は「その神を唯一の神として信仰する」という点に集中していて
十戒の言葉自体は神を信じている証となるというもので
神を信じていれば
その人間は盗まなくなり 殺さなくなる
あの言葉によって禁止されていることは
神がそれを禁じているのではなく
信仰の証としての結果だという

同時にそれは同じ部族の倫理的な特徴であり
同じ信仰を持っている証であると言える
とは言っても そのような倫理規定は
おそらくは古くから彼の地にある遊牧の民のものであり
いきなり現れた倫理観ではない
言ってみれば 部族構成員であれば誰にでも遵守可能なものだ
実際にはトーラーから汲み出した数百に及ぶ律法はあるが
それらも 基本的には生活の中から出てきたもので
また 時代的にはずっと後のことだ

外的存在である神に禁止事項を提示され
それと引き換えに神の守護下に入るというわけではなく
内的な規範を守る結果が信仰へとつながるという構造になっている

これはのちにプロテスタンティズムの倫理的な原理として言われるものとよく似ている
しかし ユダヤ教のそれとプロテスタンティズムのそれは
根本的なところで相違しているように思える
一神教が成立し根付いた後のキリスト教のそれと
まだ遊牧民の掟を伝え その便宜として出てきた宗教的合意の神との差だ

あえてその詳細には入っていかないけれども
「無神論ではあるがユダヤ人である」
という人間も多い彼らのアイデンティティーの根本には
理性と科学への信奉というものよりも
古い遊牧民の生きる知恵のようなものを感じてしまう
18世紀に創出されたユダヤ人無神論者は
近代だから生まれたのではなく
ごく初期のユダヤ教内部にその思想の源泉があるように思えるのだ

要するに 神の実在を問題としない宗教という原型は
古代社会にあるということで
そういった社会では布教も他の宗教との交わりもさほど問題とならない

我々は現代にある宗教という煙を通してしか
古代のそれを思い描くことができない
したがって 科学のように明確な答えを出すことは不可能だろう
しかし できうる限りの単純化で要素を限定し
その構造をおおまかに掴むことは可能だろう

続く
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