mixiユーザー(id:1940449)

2018年09月25日12:04

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愛についてw2

人類の社会化は 基本的には経済活動をベースに存在する
古代の交換経済から 現代の資本主義に至るまでの社会の環境変化は
「約束事」を生み出し契約の概念を発達させた

契約社会に生まれ育った子供は
契約社会の脳を持つことになる
契約社会という環境は そのまま契約社会の脳と繋がって行動を支配する
まー その支配される対象が何であるかはよくわかんないのだけれどもw
これは脳の物理的変化を伴うので
その他の行動も当然 その支配下にある
単なる道徳観念というだけではない
その道徳観念に反する行為を脳の反応が塞いでしまった結果からくるものだ

もちろん そういった反応をものともしない猛者は現れるが
社会化が発達すれば 禁止行為として集団の暴力の対象になる
しかしまー ある意味そういった社会化のおかげで
人間は物資の流通を可能とする環境を手に入れ
食料の増産は人口増を可能とするようになる
おかげで自然状態では一平方キロあたりせいぜい二人弱鹿生存できなかった人間も
同じ面積に44人もの個体が生存することが可能になった
化石資源の流通や肥料の流通再生産が可能となったからで
今地球上に生存できている人間の95%くらいは
社会化のおかげで命を繋いでいる
そして人間の脳は そのことを感知している
一人では生きられないという強烈な圧力は
共同体で生きる生物としての人間に加わる本来の圧力よりも
圧倒的に高いレベルで現代人を覆っている

その圧力は近代以降の社会を構成する原動力としての環境だ
その環境下に置かれた「愛」は
当然のように契約としての関係を人間に強いる
しかし 本来の生殖に深い関係性を持つところから出てきた生物としての人間の「愛」は
契約関係に由来を持たない
もっと言えば
その相反的な契約と生殖の関係性の相克から
近代以降の「愛」は発展したのだとも言えるだろう
「ロミオ ロミオ あなたはどうしてロミオなの?」みたいなw

キャラ違いなのはわかってるから黙って聞けw

父系社会が 女性を財産化する傾向にあるのは
男性都合の占有欲ばかりではなく
社会的な関係性の平和な維持という側面もある
先進国では特に希薄化した共同体の心理的繋がりよりも
契約を維持しないものに対する共同体的暴力をシステムとして持つことを優先する傾向がある
人情より法の方が割り切った関係性の共同体維持には楽で理解もしやすい
文化人類学者のダンパー先生のいうところの150人説では
共同体の大きさは150人を基準とすると説明されるが
その150人共同体が入り組みながらその三倍規模 また三倍規模という定数で増加しながら共同体を大きくしていく
その際の共同体の靭帯は宗教であったり社会規範であったりするが
宗教と社会規範はその役割において共通する部分も多いので
区別しないとするなら
基本的に共通規範は 何ものかを我慢するという初期の状態から
そうであって当然という共同認識に発展して
そこで生まれた子供たちは
そういう環境の中で それに反する行為に繋がる脳の反応を
いらない反応として塞いでいく

もうあんまり「ロミオ〜」とか言わないw
言うかもしんないけど
それはもうジジババの感性であって
そんな共同体維持の感性を押し通すくらいなら
一人がいい
若い生殖適齢期の人間がそう思っても不思議はない

人口が増えれば増えるほど
愛を突き通せば社会的混乱が生まれ 人口維持が不可能になる
もしかしたら 脳がそう判断した結果
少子化が起きているのかもしれない
これは決して夢物語ではなくて
社会環境に反応する脳を 身体とは別のところにおいて考えれば
そう不自然な話ではないだろう

先日 福山雅治がラジオで
「私たちは変態です さあご一緒に」と
「私たちは変態です」をリスナーに何度も斉唱させていた
「みんな違ってみんな少しづつ変態」だという
素晴らしい啓蒙活動だと思ったw

福山教祖みたいな揺り返しは必ず来る
しかし そうはいっても
その「愛」も定義不能な感情である
愛などを重要視するより
オナニーして趣味が充足してればいいやという感性が
恐らく今後の人口爆発を回避する人類の生き残り戦術としては正しいのかもしれない

でも そうはいってもなあ
と おじさんは思うw


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