ロッククライミングを本格的に始めたのはまだ十代の頃だ
当時はフリークライミングが日本に入ってきてさほど時間も経っていない頃で
そのレベルは今と比べれば相当低い時代だった
これが そもそもの疑問だ
なぜ当時はそれほどレベルが低かったのか
人は変わっていない
岩場も同じだ
なのに当時の困難度のレベルはトップクラスでも今の中堅どころに及ばない
逆に 当時の方が競技人工は多かったので
今を凌駕する人材も多かった可能性の方が高い
にもかかわらず下手だったという事実は
今考えると興味深い話でもある
その原因として考えられる現象をよく目にした
なかなか登れないルートがあって
多くの人が見守る中
そのルートにかわるがわる挑んでいる風景があった
何度挑んでも抜けられない
そんな中で 一人がそのルートを抜ける
すると不思議なことに その周辺でみていた人間が次々とそのルートを抜ける
みていた人間ばかりではない
誰かが登ったことを雑誌の記事で読んだ人間も
そこが登れるようになっている
そしてそのルートは もう絶望的な存在ではなく
スタンダードなルートの一つになっていく
その時 最初の登攀者は特に変わったムーブで登りきったわけではない
ごく普通にそこを登りきったわけであって
特殊な新しい視点があったり技術が生まれたわけではない
しかし 確かに皆が登れるようになった
この現象は 小さなサークル的な集団内のものもあれば
国内全体をおおう影響力の場合もある
どちらかといえばレベルの低い まだ上昇する可能性が残されている集団に多く見られる話だ
したがって その集団に突出した者がいたり
あるいは他の集団と頻繁に岩場を共有する場所では
そのようなブレークスルーが多く発生しただろう
当時は確かに首都圏にトップクラスのクライマーが集中していたと記憶しているし
そのような高度なルートはほぼ首都圏からの日帰りエリアにしかなかった
これは偶然や競技人工密度だけでは語れない話だ
「誰かが登った」という言葉の情報だけで
今までもぼれなかった場所が登れるようになる
できなかったことができるようになる
この不可解な現象は十代の俺にとって大きな疑問だったし
それは今でも解決できない謎だ
しかし それがどんな原因に基づくものかはさておいて
文化の伝播においても同様なことが起こっていただろうと考えることはできる
ある程度の共同体では
一人の偶然の成功や 流入してきた外部の技術が
ほんの欠片でもいいから存在すれば
おそらく その技術は瞬く間に広がり
さらに困難な課題を生み出すことが可能だっただろう
重要なのは「課題を生み出すことができる」ということで
何不自由のない状態からでも さらに完成度や装飾性の高いものを認知として発見できるということだ
アフォーダンス理論でいえば
何もないようなところからアフォードする要素を発見できるということだろう
それは明らかな認知の広がりを意味する
言ってみれば
もともと人間にその岩壁を登ることができる可能性が内在されており
それが認識の延長によって実現するということだ
言い換えれば
縄文土器のような複雑で困難な造形も
最初から人間内部に存在しており
それが どこかのブレークスルーにより
一気に広がり 各所で特徴的な縄文土器を一斉に作った時期があるような話につながるだろう
今の我々の感性に縄文土器のデザインが内在しているかどうかはわからないが
まるで言語が広がるように この列島各地で同様の土器が作られたのは
その土器を生み出すものが 当時の人々の内部に最初から存在していたのだと考えるべきなのかもしれない
あの燃え上がる炎のような 砕ける波のような 地を這う蛇のような具象のきっかけさえ与えられれば
そこから広がり出てくる形は 誰が教えることもなく湧き出てきたとして
残るは それを造形化する技術的な問題点をどう乗り越えるかだが
それもおそらく 「可能である」とする証拠の欠片を見つけさえすれば
どうにでも乗り越えていったのだろう
他人ができれば
アフォードされる認知の範囲が広がる
この辺りは 今後急激な研究がなされる分野だろう
ああ 結果を見てみたいもんだw
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