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2018年05月03日14:22

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日本の東と西.2

宮本常一先生のフィールドワークは戦後間もなくの日本の姿そものであるが
その姿は 今はもう消えてしまった日本列島の様子を描き出している

今はもう消えてしまったとはいえ
おそらく50代60代のこの島の住人にしてみれば
幼い頃に見た風景の片鱗を残している
昭和の中期まで 少し田舎に行けば
縄文・弥生からの連綿とした繋がりは生きていたと言える
まー 三、四十年前前まで東京でも
青梅街道を肥桶を積んだリヤカーが堂々と往来していたので
地方だけの光景であるとも言い難いw

「おら東京さいぐだ」と言う歌があった
吉幾三の作詞作曲で
「おらこんな村いやだ」と正直に田舎への嫌悪を歌っている
まー ずいぶん盛ってあるのでいくら青森といえどもそこまで田舎ではないし
郷土愛の裏返しでもある歌詞はそのまま受け取られるようなものではないが
基本的には牧歌的な田舎暮らしに対する反感は その底流にある
その頃 この列島では都会的な生活が「道徳的に」正しい進歩のあり方であり
方向性でもあった
国家全体が社会改良の流れの中にあり
地方都市と中央を結ぶ高速自動車道路が建造され
新幹線が開通し
そんな中で若者が故郷を捨て東京に出るという流れもオープンな時代になりつつあった
ちなみに 関係ないけども
あの歌の「牛連れて片道二時間の散歩道」ってのは「馬」にすべきだと思うw
それが民俗学的に正しいw

そんな時代背景には 日本人は均質性が高く
文化は中央から辺境に向けて同心円状に流れ発達していくというベースがある
これは柳田民俗学「蝸牛論」以来 現在に至るまでこの列島の人間が信じてきた神話であり
「田舎」=「発展途上」というイメージを抱かせる
田舎は改良されなければならない劣った地域だという幻想だ
そこに 「別の文化である」という発想はない
基本的には日本人は均質であり 平等であり
天皇を国民統合の象徴として戴く大御宝(おおみたから 農民)の集団である
というような天皇観にも直結している

明治以来の法による列島全域の統治をなさんがための基本理念としての国民統合の概念は
長きにわたって学問としての「民俗学」「歴史学」を変形させ続けてきたと言っていいだろう
国民が総意の元に社会改良を急がなければならなかった裏には
日本列島に細かく分散して存在した「それぞれの日本文化」を捨て去る流れがあった
列島全土をおおう経済構造を成立させるためには
多様な「世間」があっては進歩しない
度重なった戦争遂行のためにも「日本人」は均質でなければならなかったし
同じ歴史的価値観を形成しなくてはならなかった

まー 柳田先生がそういった流れのために民俗学をやったわけではないし
彼自身は中央の価値に対し 野生の山の神話をぶつけていったわけであるから
民俗学自体に何か政治的野望が存在していたわけではないことには留意すべきだろう
しかし 柳田民俗学は時流に合うものだったことは否めない
しかも それはまだこの列島の住人に根付いているイメージでもある

続く

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