mixiユーザー(id:1940449)

2018年03月14日23:53

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古代史と政治

まー なんともあまりいい話じゃないが

人が古代の歴史に興味を持つのはなぜだろうかと考えるに
数学でも物理でも哲学でもそうだが
基本的には人間の認知のあり方に関わってくる

人は物事を見て
あるパターンの仮説を立て
そのカテゴリー分けをし
そして 単純化・省力化して脳に記憶する
それが次の短期・長期に行う行動の助けになるようになっている
まー この辺りがエテ公とヒトの差だw
この脳の機能が
月にロケットを飛ばしたり 石斧を磨かせたりした
人が古代史を探ってみようとするのも全く同じ欲求から来ている

ただその機能は あくまでも真実を探求するべく作り上げられているものではないから
人は出来上がったものは手元にある材料を 
気に入ったように作りあげるヘキがある
なにしろ
単純化・省力化のゴールに持っていく理由は
それが快感だからであって
不快な事実に行き当たることをわざわざやるためには
それを覆ってあまりある快感がなければならない
時にそれは
政治だったり 民族の誇りだったり
異種に対する拒否感だったりする
あるいは時勢に乗った思想的背景だったり
他の研究者をまとめて否定し既存学説を破壊する衝動であるかもしれない

そして その学説を受け取る側も
学者ばかりでなく大衆も
味わいやすい歴史を受け取り
眺めては
その収まりのいい記憶を単純化して脳のどこかに収納し
そして忘れる
しかし 忘れたようでいて
それはまた ほとんど無意識に
次の機会の思考の省力化に寄与するデータとなる

多分 こういったことは避けようがない
繰り返しになるが
ヒトの脳はそうやってできている

だから 古代史は特に難しい
確たる証拠がない
だから人は ここから多くを得られる期待をしてはならない
全てを信頼してもいけない
未来への指針にしてはいけないし
何かを演繹してもいけない
ただ偶然 そこにあったことを楽しむにとどめるしかない

ということを 知るための学問なのかなあと思う
いろいろ読んでそう思った

つーか 無意識か無意識でないか別として
現代の研究者すら そいういったクビキは少なからずある
ネットなんかでよく見る
「任那日本府」だの
「縄文土器がペルーから出た」だのちょっと笑ってしまうネタや
「騎馬民族征服説」なんかも
そういった例の極端なやつだ

そういった研究の中でも特に注意すべきが
最近の遺伝子分析による人類学で
遺伝子はあくまでも移動経路の参考になる程度であるから
文化的指標にはほとんど無関係だということは忘れないようにしなければいけない
あくまでも その遺伝子集団が持ってきた慣習文化が
現在の日本を形作っている
その文化すら変わる時は数代で見る影もなく変化してしまう
遺伝子で何か歴史の整合性を見出し
脳内物質を出してはいけないのだw

でるけどねw
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