mixiユーザー(id:1940449)

2018年03月05日17:42

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「美の考古学」「進化考古学の冒険」.6あたいの縄文w

女が作った縄文土器

本当は男も作りたかったけど
作らせてもらえないので使いもしないのにでっかい槍の穂先とか石で作ってた
「ちょっとあんた ナニ粘土とかいじってんのよイノシシは?イノシシは?イノシシは?」
「今行こうと思ってたんだよ そういうの一番腹がたつんだよ」
「だったら言われる前に行けばいいじゃんね 違う?ねえ私間違ってる?」
「いくってばよ〜 キミもどんぐり拾いに行けば?」
「私はいいのよ 火焔土器作ってんだからさ」
「なんだよそれ ブキ?」
「うるさいうるさいうるさいうるさい」

こんな感じだ きっとw
大きくは外れてない自信がある
前にブッシュマンの様子やアマゾンのインデオの様子をTVでやってた時そんな感じだった
まー 人間はこんな感じが一番平和だw

「冷たく硬いデザイン」と「柔らかく毛深いデザイン」があるとするなら
前者は誰が作っても同じものができる
しかし 上手い下手はあるので
中でも製作者の技量が高いか低いかは一目瞭然だ
よって徐々に分業がなされる
言い換えれば「プロトタイプ」が厳密だ

しかし 後者は作る人間によって様々なものができる
「プロトタイプ」に対しての制約が少ない

縄文土器のデザインを見るに
このプロトタイプに対する考え方が それ以降と全く違う

おれは縄文土器の装飾は
この土器が一種の「贈り物」であったからではないかと思っている
女から男への
あるいは集落から集落への
ある種の儀礼を伴った贈答品としての意味を持っていたのではないか
未開社会においては
社会が複雑化するにあたって
その成員交互の関係性をつなぐにあたって
贈答品は重要な意味を持つ
いわば貨幣であり 結納であり
あるいは定期的に行われる離れた共同体への挨拶であり
富の分配でもある
描かれる文様や形状には意味があり
やがてその意味自体は抽象化されていっても
文脈としてのデザインは残る
そういった情念のこもったイメージデザイン自体が
彼らにとって壺のプロトタイプだ
そういう理由があって初めて
過剰とも言える装飾が伴ったデザインに意味が生まれる

わざわざああいう形を作って
それを自分自身の煮炊きに使うと言う前提をおいてしまえば
解釈に苦しむ
なんかこー 使いにくそうだしw
贈り物なんだから派手な方がいい
贈り物だからこそ 相手の繁栄を祈念するような造形を施したい
そういった意識があったとすれば
縄文土器の使用目的を度外視したようなデザインにも頷けるだろう

まー もらった方は
あたかも現代の結婚式の引き出物にある
貝殻かなんかの形の照明で手を叩くとつくやつみたいな感じで
こんなもん どーやって使うんだよふんとにもー
とか思ったかもしれないw
しかしそれを口に出してはいけないのは
現代と同じだw

北九州が弥生の風に吹かれる中
東日本は縄文土器を使い続けていた
北九州や近畿でもそれほどすぐに変更されたわけではない
長らく縄文式土器と弥生式土器は同居することになる
しかし 徐々に毛深い縄文式は儀礼用に
普段使いはシンプルな晩期縄文式や弥生式に取って代わられる
それこそ あの縄文式土器は贈与と言う儀礼用だった証とは言えまいか?

古代がくる頃には東日本でも徐々に縄文式土器は消えていく
おそらくそれは
儀式的交換の時代から
経済的交換の時代へと変化したからではないかと思う
近江の古代人が来て
「このシャケの干物なんぼでっか? そないいわはらんと負けてーや 殺生やわー」
とかいう時代になったのだ たぶんw
風情がなくなったなあw

続く



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