mixiユーザー(id:1940449)

2018年03月04日15:57

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「美の考古学」「進化考古学の冒険」.2 認知革命

ちょっと想像してほしい

あなたは 今 端正な和室に座っていて
広縁を通して庭を眺めている
その広縁に古めかしい壺が一つ置いてある
それは無骨な素焼きの土器で
うねるような文様と荒々しい縁取りが施されている

縄文土器が博物館以外で
我々の生活の あるいは美意識の中に忽然と現れたら
我々はどう感じるか?

少なくともおれだったら
そこに不安を感じるのではないかと思う
異質な美意識だ
明らかな不調和であり
そのモノが有するであろう意味を考える

これが 弥生式土器と言われるような形式の簡素ではあるが美しい土器であったなら
おそらく心にとめないだろう

それを松木先生は
「認知革命」があったのだと主張している
縄文と弥生の間に
狩猟採集から農耕への変化の中に
明らかに美意識の変遷があったのだという

原因として多くが挙げられているが
そのうちの一つに
縄文土器に込められていた記号性を挙げている
縄文土器に典型的な過剰な装飾には
集団で狩りをしていた時代に活発に活動していた
脳の働きが行き場を失って
縄文土器の際立った造形となった
農耕を始めた弥生に入り
そのアピールは土器から消え失せ
農耕社会でのリーダーシップに変化し
モノとしては陵墓や武器・武具の持つ美的象徴物へと
その発現場所を移動させた
そして
記号性を失った土器は
シンプルな実用の美となった
我々は それ以来
シンプルな実用の美の美的認知の世界に生きている

きわめて素朴な太古の土器から
複雑化を経て
装飾の少ない実用の土器へという変化は世界各地に共通する
美に対する「認知革命」はどこの社会でも働き
狩猟採集から農耕社会へと変遷するタイミングで起きている
これまでは
農耕社会の特質からこれらの事象は解釈されてきたが
松木先生は
認知科学の見地から 狩猟採集に使われていた人間の特性から
これらの変化を見るべきだという仮説の主張を行う

まー こんな感じだ

縄文土器のデザインに見られる特徴として
不安定な奇数の採用や
左右非対称 
人間の脳をしてカテゴリー化困難な
不安感を催す要素を意図的に盛り込んだとも言える
ここからくる
用途から独立した意味性を見るものに感じさせずにはいられない造形は
古代土器文化の中で世界的に見てもアイドル的存在の縄文土器をして
様々な解釈を成立させ続けている
新たに認知学の手法を用いて
この謎に挑戦したいという欲望は
研究者にとって抗しがたい魅力だろう

しかし なんだ
ここでマルクス・エンゲルス的な普遍的社会進化というような概念を
改めて持ち出す松木先生は(実際 認知革命の「革命」が表している内容は松木先生にとってマルクス主義のそれである)
認知心理学や文化心理学を本当に理解していると言えるのか?
脳機能がこういった社会進化を必然的に促すとでもいうような
過去の学問の間違いをたどってはいまいか?
元々 そういった流れから脱するために
以前の学問的方法論を見直すために
科学と言えるような生成文法から始め直した
一連の流れではなかったのか?

というわけで
おれと同世代の学者先生にしては珍しい論理展開だ
ツッコミどころ満載で
非常に読み込むのに手間がかかる

続く
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