mixiユーザー(id:6354345)

2015年10月04日21:32

461 view

大河ドラマ 花燃ゆ 第40回「二人の母」

・久坂玄瑞の忘れがたみ秀次郎は、杉家で育てられることに。秀次郎は悪さが多く、なかなか手に負えない状況。美和は秀次郎に文字の書き方を教えるがへのへのもへじしか書けない。そして、玉木文之進は秀次郎を久坂家の子として仕込もうとするが、歯が立たない様子。

・二条窪では楫取素彦が村の人たちと田畑の開墾に励む。水を引くためにはお金がかかるので、楫取は、役所に行って金を工面してもらうよう交渉するが、難攻する。

・アメリカ合衆国では木戸孝允、伊藤博文らは不平等条約撤廃交渉は難攻、日本国内の内乱が心配で、交渉をやめ、帰国の準備に取り掛かる。

・秀志郎は相変わらず、美和のことをおばさんと呼び、母上と呼ぼうとしない。そんなある日、秀次郎がいなくなり、秀次郎が母 辰治のもと 京に戻ろうとしているのではないか、みんな心配して、秀次郎を探す。結局、秀次郎は、塾の2階に隠れていたところを発見され、無事であった。美和は、心配して秀志郎をきつく叱る。

・秀次郎は母辰治に捨てられてここに来たのか美和に問う。美和は母に見捨てられたのではなく、久坂家の後継として父上のように立派な人に育ってほしいことを願う。その後、秀次郎は美和になつき、美和の事をようやく母と呼ぶようになった。

・ある日、辰治がはるばる京から萩を訪れ、辰治は、秀次郎が元気に育っている様子をそっと陰から見守る。美和は辰治を見つけ、美和がそのまま秀次郎を育てていいのか、辰治に問う。辰治は秀次郎がいると、再び、芸子としてやっていくためには弊害があるので、秀次郎を美和に託すとの考え。しかし、美和は以前、久坂玄瑞の忘れがたみを探すために京へ行き、辰治に会ったとき、秀次郎が久坂の子といわなかったことから、本当は辰治は秀次郎を手放したくない気持ちを察する。

その夜、美和は秀次郎が辰治のことを寝言で言っていたのが気がかりになり、次の朝、京へ出立前の辰治に会い、改めて、辰治に秀次郎を迎えに来てほしいと頼む。辰治にとっては、秀次郎は久坂家のたった一人の子であり、立派に育てられたほうがいいいのではとの考えであったが、美和は、久坂の子である以上、久坂家で育てなくても立派に育つことを信じるとともに、辰治に育てられることが秀次郎にとっては幸せだと説得する。

・そして、美和は秀次郎に対して、文字を一生懸命学ばない子はこれ以上、育てることはできず、もう母上ではないと言い、今すぐ出ていくように冷たくあたる。そして、亀に秀次郎を外に連れ出してもらう。外には辰治が待っており、秀次郎は、辰治と再会し、辰治と一緒に京で暮らすことに。

・1872年(明治5年) 新橋から、横浜まで鉄道が開通、1873年 木戸、伊藤らがアメリカ合衆国から帰国。その頃 政府は徴兵令の施行を検討するが、三条実美、西郷隆盛らは士族の不満を心配する。そんな中、各地で反乱が勃発。そして萩でも不穏な動きがあり、前原一誠が、新政府に対して不満をもつものたちを募っていた。

(感想)
・秀次郎にとっては、結局は、実の母 辰治に育てられたほうが幸せだと思いました。ひと時だででも、秀次郎は、久坂家で育ててもらい第2のふるさとができたのかなあと思いました。

・鬼教師の玉木文之進 秀次郎をスパルタ教育しましたが、秀志郎がそれをかわすシーンは面白かったです。

・寿の子 久坂家の養子 久米次郎もかなり大きくなり立派に育っているなあと思いました。

・木戸孝允は、アメリカ合衆国で、楫取素彦が二条窪で百姓をしているという話を聞き、怒りまくる。楫取が東京の新政府に残っていたら、西郷隆盛らを抑えることが出るのかは少し疑問。でも少しは変わっていたかも。


次回 いざ、ぐんまへ

ゆかりの地 旧新橋停車場 JR 新橋駅下車 徒歩5分
2 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年10月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031