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2015年04月16日00:01

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大谷探検隊の軌跡をたどる旅順の旅(9)

分館の展示を見たので、本館の方へ行きます。
本館は1919年に竣工しました。設計は前田松韵。古代ギリシア・ローマおよびルネサンス様式に東洋の様式を融合したもの。ルネサンス様式の特徴として、垂直・水平のラインと左右対称を重んじます。正面にはイオニア式の柱があります。

中に入り、重厚な階段を上がって2階へ行きます。木の枠の古めかしい展示ケースが並んでいます。展示ケースだけでも骨董品です。ゆっくり見ている間もなく奥へとせかされます。どんどん奥へ入って行きますと、ミイラ室があるのです。他の陳列室とは違って小さくてやや暗い部屋です。ミイラはトルファンで出土したもので、男女一体ずつ二体、それぞれ別々のガラスケースに横たわっています。
トルファンでは漢人の麴(きく)氏が高昌王国を建てました。そのため漢風の文化が栄えました。ミイラの女性は唐代のような胸高で縦じまの模様のスカートをはいているのが見て取れます。部屋の周辺には高昌王国の説明があり、さらにミイラの二人の実物大の想像復元像が展示されています。

高昌王国で有名なエピソードと言えば、玄奘三蔵が訪れた時のことでしょう。
玄奘三蔵はインドへ取経に行くため密出国をして西域に入りました。高昌王国に来たとき、国王は玄奘の仏教の知識に感銘を受け、インドへ行くのはやめて高昌王国に留まるよう強く引き止め、出国を許しませんでした。玄奘はそれに対して断食をして抵抗をしたので、国王はついに根負けをして出国を認めました。その代りインドから戻ってくる途中必ず再び立ち寄るという約束を交わしました。
しかし、玄奘がインドに行っている間に唐の太宗は高昌王国を滅ぼしてしまいました。
玄奘は膨大な経典を携えて戻ってきましたが、途中立ち寄る約束をした高昌王国はなくなっていたのです。

ミイラ室を見学した後は、集合時間を定めて自由行動です。
中国の様々な文物、出土品がこれだけ並んでいる博物館なので、いくら見ても見たりないほどの好物が並んでいるはず…なのですが、頭がすっかり中央アジアに行ってしまって、それ以外の美術品がさっぱり目に留まりません、気を引きません。むしろ20世紀初頭の洋風近代建築への興味だけを発動させて、館内をいろいろ写真に撮りました。そのほかの部屋はほとんど素通りして売店に行きました。いい図録はないかと思いましたが、とりあえず日本で旅順博物館展を開いたときの「シルクロードの至宝」という本があったのでそれを購入。さらに薄い旅順博物館のパンフレット。そして大連の洋館の絵葉書があったのでそれも購入。
ついでに買い物で言葉が通じなくて困っている人がいたので助け舟を出したりしました。

あとは建物の後ろの方に回って写真を撮りました。
そうするうちに集合時間が来て、旅順博物館をあとにしました。
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