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2022年04月10日21:01

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大河ドラマ 鎌倉殿の13人「都の義仲」

・北条義時は八重を妻とする。その後、八重は義時の子を腹に宿す。

・源義高は人質として鎌倉へ。源頼朝、政子、大姫と挨拶する。頼朝は義高と大姫をいいなずけとする。政子も義高と対面して賛成する。

・木曽義仲は俱利伽羅峠で平家軍を破り、都入りする。源頼朝は義仲に先を越されたと焦る。大江広元はいずれ後白河法皇と義仲は衝突することを予測する。

・後白河法皇は木曽義仲、源行家と対面する。後白河法皇は義仲に三種の神器を急ぎ平家から奪還するように命じる。義仲は三種の神器とは何か知らなかっつた。

・後白河法皇より此度の平家の都落ちの褒美、勲功第一位に源頼朝、第二位に木曽義仲、第三位に源行家に与えるという書状が頼朝のもとに届く。頼朝は自分が一位となるよう、後白河法皇に東は源氏が治め、西が平家が治めると提案することで、自分が源氏の棟梁であることをアピールしたためである。

・木曽義仲、源行家は勲功1位が源頼朝であることに不満を後白河法皇に訴える。それを聞いた後白河法皇は頼朝の褒美を取り下げる。

・木曽義仲の兵が京で狼藉を働く。義仲は兵のほとんどが寄せ集めの兵であるため、兵の狼藉を止めることができなかった。

・後白河法皇は木曽義仲、、源行家を呼び、早く三種の神器を取り返すため平家討伐の院宣を下す。義仲は平家討伐のため備中国に出陣するが、平家相手に苦戦する。一方、頼朝は義仲が京を離れたことをチャンスに後白河に上洛が遅れたことを詫びる。そして、後白河法皇は頼朝に東海道、東仙道の軍事支配権を与える。

・木曽義仲は後白河法皇が源頼朝に東仙道の軍事支配権を与え、事実上、信濃が頼朝の所領となったことを知り、後白河法皇に強く反発し、京に戻る。加えて、義仲に平家とひそかに和睦したと謀反の疑いがかけられる。

・京に戻った木曽義仲は後白河法皇の面会はかなわず、門前払いされる。そして後白河法皇は源頼朝に木曽義仲追討の院宣を与える。

・源頼朝は木曽義仲討伐を命じるが御家人はついてこず、兵は千人しか集まらない。とりあえずは先発隊の大将を源義経に命じる。義経は木曽、平家を倒すことにやる気満々であった。

・三浦義澄、三浦義村、千葉常胤、土肥実平らが不穏な動きをし、鎌倉が二つに割れる危機がひそかに起こっていた。

・源義経は先発隊として出陣すること旨を源頼朝に伝える。そして頼朝は戦が終わったあと二人でゆっくり話そうと提案する。義経は木曽義高にも出陣の挨拶をする。義高は父、木曽義仲に討ち取られることを願っていた。

・御家人の間での不穏な動きはどんどん大きくなっていき、ついには上総広常にも声がかかる。事前に大江広元は北条義時に広常が声をかけられたらそのまま応じるよう広常に伝えるよう指示していたのであった。そして広元は御家人に不穏な動きがあり、鎌倉が二つに割れたことを確認する。

(感想)
・木曽義高は蝉の抜け殻を集めることが趣味だったとは。そして源義経と対話するシーンをみて、いずれは敵同士となると思うと残念に思えました。そして義高と大姫の仲が引き裂かれると思うと悲しく思えました。

・木曽義仲は平家追討に向かう、信濃が頼朝の領地になったことに怒り、平家との戦を放棄したことで、平家と和睦を結び、謀反人とみなされるとはかわいそう。そして、最後には後白河法皇に門前払い、丹後局の冷たく義仲をあしらわれるとは。

・鎌倉の御家人が二つに割れる事実は初めてしりました。

・北条義時と八重がめでたく夫婦となりよかったです。




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