日本独自の土としてクロボク土がある
いわゆる黒土で 東北から九州まだで幅広く分布している
これまでは いわゆる火山灰土として認識されてきたが
最近の説では これはどうやら縄文人による野焼きの跡が堆積したものらしい
野焼きは いわゆる焼畑とは違う
ただ 野原に火をつけるだけだ
その面積たるや広大で
日本国土のかなりの部分を覆う
さすがは1万年以上w
縄文人はただ生き延びてきただけではない
ぼうぼうと火をつけてきたのだw
では何のために?
これがまだ定説はない
おれが思うに
第一に 野焼きをすることによって
クズ ワラビ等の地下茎の澱粉質を収穫することができる
その他野草の収穫も見込める
第二にシカイノシシなどのタンパク源をとることが容易である
同時に これが大事だが
野生動物の糞がその地にとって肥料となる
第三に 大木となる森の木は燃料として不都合である
どちらかといえば小潅木の方が燃料として有効だ
そのためには新山の範囲を減らし
人の手で管理できる野焼きは有効である
なんせ 石器しかないから 大木は処理しにくい
野焼きの跡には クリ ドングリ トチなどの高カロリーの身のなる植物を植えることもできる
基本的にはタンパク源は河川のシャケ等によって賄われていたので
山でとれるイノシシやシカはサブ的な役割だろう
その場で糞さえしてくれたらいいのだ
縄文人としても 一応はとるけど
本気で獲っていたとは考えにくい
他に食うものがある上に 猟は危険だからだ
中世のヨーロッパで三圃制という農業システムが考案された
一年目に小麦を作り 二年目に家畜を買う 三年目に土地を休ませて
4年目にまた小麦をつくる
こシステムのおかげで ヨーロッパはある程度飢えから解放された
似たようなことを 農業ではないが
縄文人も行っていたおかげで 1万年以上の長きにわたって
同じ島の中で繰り返して生き延びることができたのではないかと思う
うんここそ最も優れた肥料
三圃制も野焼きも同じ思想のもとに作られたシステムだ
縄文人が 新しい土地に移動せずに
あるいは 移動できずに
同じ土地を再利用することに拘ったのは
このシステムがあったからではないかと思う
そして それが可能だったのも
このシステムが有効であった証だ
なぜ 縄文人は長きにわたって農業を本格的に行わなかったのか
一言で言えば そのシステムで生きるに十分だったからだ
十分なのにわざわざ農業をやる人間はいない
農業と採集生活の労働力の比率は10倍以上あると言われている
世界では 狩猟最終生活で土器を作ること自体が
世界史の中で数少ないと思われてきたが
今日 都市も土器も農業以前からあったとされつつある
縄文と土は
今後もさらなる研究を積み重ねていくだろう
面白い時代になってきたw
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