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2019年09月05日17:04

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保守のポピュリズム 11 表現について



動画の背景を説明するのは手にあまるので
参考サイトを引用させてもらう
http://rootless.org/chomsky/falserumor.html#faurisson

実際には この動画の中のチョムスキーの発言の端々にも
このサイトの解説を裏付けるものは容易に読み取れる

ち「共産主義者は人間 ユダヤ人も人間 ナチスも人間 私も人間です」
「あなたはナチスですか?」
ち「いえ ナチスではありません」
「政治的にあなたはどんな人間ですか?」
ち「nothing」


ち「この段階で フランス知識人社会には問題を理解する能力がない」

動画の5:30くらいでで出版社の人間が
「チョムスキーの言葉が読者に対しての警告として必要だった」
というような話を述べている
もちろんこのセリフはチョムスキー先生の意図とは違ったもので
本を出版するアリバイとして利用したということに過ぎない
しかし これでアリバイが成立するだろうと踏んだ出版社の思惑は
全く通用しなかった
動画の中のインタビュアーも講義の人々も
誰もその意を図ろうとはしなかった
そもそも彼らはチョムスキー先生の社会批判は目を通していても
言語論に関してはおそらく真剣には目を通していない
理解できるできない以前に
「見たくない」のだ

ユダヤ人もナチスも人間
そういうチョムスキー先生のセリフを
当時の彼らが理解できただろうか?
人間は生来的な言語に関する文法学習能力を持っている
そんな確信のもとに語られる人間像は
ナチスもユダヤも 同じ思考方法の脳に頼るしかない人間を認めている
そんなことが当時のフランス社会に認められるわけもない
生まれて以降の環境や周囲の言説による「刷り込み」以外の
生まれつきの能力など
彼らには存在してはいけないものだ
だからチョムスキー先生は
この件について
「黙っときゃよかった フランス知識人社会には問題を理解する能力がない」
と言わざるをえなかったのだ
まー 黙ってることができないからチョムスキーなんだけれどもw
ナチスもユダヤ人も同じ人間
同じ間違いを犯す脳を持っている
だからこそ 自由な言論を犯してはならない
それがチョムスキー流の言論の自由の必要性で
ただ単に法で認められた「表現の自由」などという問題ではなく
人類に共通して絶対に犯してはならない掟なのだ

もっと言えば
ただ一回 偶然に起きた突然変異の結果が人類を生み出したとして
その変異をNとするならば
言語のN1
道具使用のN2
心の理論のN3
と様々な変異が人間に起こったことになる
もしくはすでに起こっていた変異がなんらかのきっかけで発現したことになる
無数の変異 Nnは存在するか?
その問題のチョムスキー先生の回答はNは一つしかないというものだ
よって人類はムラなく一つの種なのであって
同一の脳の影響下にある
そこからあるレベルまでは おそらく演繹可能だ
少なくとも 人間は確実に間違うのだ

エマニュエル・トッド先生の
「私はシャルリ」運動への批判も
行為そのものこそ真逆であるけれども
内容的には同じだ
他人が崇拝する神聖なものを侮辱する権利など誰にもない
それは無益で無駄で愚かなことだ

ムハマンドを揶揄したイラストを表現したフランスの雑誌に対してのテロが行われたことに対する抗議集会がフランス全土で起きた
さも表現の自由を守ろうとする運動に見えなくもないこの流れに対し
フランス知識人もほぼ全てが同意した
ちょっと待て 先に侮辱したのはフランス側だろう
それを止めずに鼻先でわらてたのもフランス人だろう
文化伝統生活習慣の違う人間が存在するのは事実だが
それをマクロな視点で省力化表現し
そう思い込み批判するのはフランス人のやることではない
と トッド先生は主張したが 残念ながらそういった話と
その裏にあるトッド先生の理論的な背景は
フランス知識人にすら理解されなかった

二人に対する共通の反発は
その「決定論」的な人間の本質というものについてだろう
各個人は自由であり縛られることなく自由な思考を形成できるというものだ
確かに思考は自由であるように見える
だがそうか? 本当にそうか?
という問いには
脳の省力化要求が反発するのだ

続く
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