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2019年02月13日09:10

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認知から見た宗教の始まり 1.嘘について

ダニエル・C・デネット 「解明される意識」
この本で面白いことが書いてある

「人間は複雑な幻覚を見ることはできない」

思いっきり平たくいえば
触感や声や匂いまで感じさせるようなリアルな「幽霊の幻覚」を我々は見ることができない
リアルな幽霊を構成する様々な感覚情報を我々の脳は作り上げることができないからだ
ということになる
この辺りを「水槽脳」というおなじみの心身問題(心の存在をテーマとした哲学的課題)で使われる仮想実験を使って説明している
(実は現在のあなたは脳だけが水槽で培養されていて様々な刺激で生きているかのように思わせられているという仮想実験)
まー 要するに人間がランダムに受け取る様々な感覚情報を作り出された幻覚に合わせてシミュレートして脳がその感覚を受け取るにはあまりに情報が多すぎて限界があるからという比較的シンプルな話だ

では 実際に山のようにある心霊的な体験談だとか
神が起こしたと言われるような奇跡的な目撃談はどうなるのか?

そのほとんどは嘘であって
実際にその嘘を解明する必要性もない
解明すべきは なぜその嘘が有用だと感じられて
社会に広がっているのか?だろう

まー おれが今まで生きてきて
これはちょっと否定しづらいなあと感じたのはたった一件しかないので
個人的にも まず99.9%以上は嘘だと思っているw

要は我々は誰かが作り上げた嘘を
さも真実であるかのように語り継いでいる
様々な神話であったり 超自然現象であったり
実際は信じてもいない話を延々と語り継ぐのはなぜなのか?

ここで前の日記で紹介した「聖堂のような心」を考えてみる
いったいこの「超自然現象の嘘」はいかなる脳の小部屋が関係しているのか?
おそらくは社会脳と言語脳だろう
社会脳は共同体の中で自分という存在が優位につけるように行動する知恵で
言語脳は周辺を抽象化して文法に則り他者に伝える知恵である
元々言語は生存に重要な情報を伝えるためではなく
共同体内部での相互の噂話などを通して関係を維持するために発達したという説がある
いわばゴシップを拾い上げ笑いあったりするために発達したというものだ
そういう意味では言語脳と社会脳の二つは発達過程において元来関係性が深い

「俺 実はあそこの山の中で死んだじい様を見たんだよ」
というほら話は
ゴシップとしては極めて友好的に周辺の話題をさらい
小競り合いの起こりやすい共同体内部の小さな問題を駆逐しただろう
そして その嘘は共同体維持にとって有効性を持ちえただろう
あえてその話を否定して周辺の反感を買うよりは
その話に乗って頷く方が処世術としては長けているものだっただろう
そして 巧みな言語能力はその嘘にリアリティーをもたらし
さらにはそ話の内容に尾ひれをつけ
「死んだはずのじい様」に生前と同じ食料を捧げてみたり
名を呼んでみたりしながら 共同体の一部に加えてみたりしようとしただろう
あるいはそれが 「話をするイノシシ」だったり
「祖先の顔を持つシカ」だったりに広がっていっただろう

旧来の文化人類学は 現在も狩猟採集生活を続けている民族を調査し
その宗教的意識を採集して
それを遥か太古の人類一般に当てはめてその宗教的意識を編み出そうとする
そこに少なからずあるのは
近代的な整理された宗教的確信と同じものが古代にも存在したはずで
言ってみれば「生真面目な信仰」に共通するものが古代にもあったとする思い込みだ

現代の我々でも 日常的な会話のほとんどはゴシップであり
それが本当であるかどうかなど大した問題ではなく
お互いにその会話に興じているという状態があればいいのであって
それ以上ではない
まー そのあたりからすれば
「嘘」は元々ゴシップそのものであって
それを理解しない会話は「無粋」であるというところだw
巧みに装飾された嘘は その装飾に感心しこそすれ
「死んだ人間がうろうろしてるわきゃねーだろうが」
とか怒り始める人がいたなら
彼は和気藹々としたゴシップの場から弾かれてしまうだろう

このゴシップこそが
古代において宗教が発生する原初的形態ではないか
というのが
この日記で書いてみたい説の第一歩だw


続く
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