mixiユーザー(id:1940449)

2018年09月28日18:50

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縄文から弥生への仮説4 自我の行方

デカルトが「我思うゆえに我あり」といったのは
「まー 確かに考えてるんだから私がいることは確かだな」
くらいの意味なので 
そこをいろいろ言われても じゃあどうしろと言うんだよ みたいな感じだw
もー 細かいことを言うなようw

しかし なんだかその辺りが根本的に怪しくなってきているので
そうも言ってられないw

そもそも 「私」なんてものが出てきたのは
人類の歴史からすればごく最近の話ではないかとかずいぶん前から言われている
どこからともなく聞こえてくる 精霊のささやきに耳を傾け
それが告げてくれる話をいかに理解するか
なんてのが「自我」に目覚める前の人間の思考だったという
今でも未開の地では そういった思考が幅を利かせている
もう 我々は忘れてしまった

まー 昔はみんな土人だったからなあ 
な〜んて笑って済ませられるのも今のうちかもしれない
自分の脳の中に「自我」以外のものが詰まっているなんて
ごく最近まで誰も考えもしなかった
実は 古代人が正しくて
現代人が間違って思い込んでいる可能性はかなりある
てか おれは完全に間違っているのではないかと思っている

脳の中には囁く人がいる
意識をうまく誘導してくれる人がいる
そもそも この意識とは
誘導された結果しか 我々は知りようがないし
その誘導後の意識こそ 我々が感知できるものだ

まー
そんなに怒らなくてもいいよとか
怖がらなくていいよとか
それは慎重に選択しなければいけないよとか
それは大事だから目線を外してはいけないよ
とか そんなことを囁く
それは意識と関係のない世界からの囁きだから
我々自身はどうしようもない

その囁きに じっと耳をすませていたのが縄文人で
それが聞こえなくなりつつあったのが弥生人ではないか
同じ人間でも
一人の人間の世代の中でこの反応は変化しうる
いわゆる 進化にも似た変化が
同じ人間の中で起こり
それは遺伝していく

で 今の我々は自分の意識こそ唯一自分の自由になるもので
この意識を良いものに変えようと努力する
ある人が犯したミスは その人に全責任が被せられる
その人が感じた欲動は
その人個人に全て集約される原因があると思いたがる

本当にそうなのか
ということを考える縁さえなくなっている
科学は 本当は精霊が教えてくれているんだよと語り始めている
でも 耳の傾け方がわからない

多分そういうことを考慮して
今後の教育は成り立っていくような気がする
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