mixiユーザー(id:1940449)

2018年09月20日08:09

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縄文から弥生への仮説

縄文土器がある一定の時期に消え
弥生式土器と言われる殺風景な実用土器に変容していった
まあ これにはかなり長い時間がかかってはいるものの
稲作伝来の時期とおよそ呼応して縄文土器が消えていったのは間違いないことのようだ

なぜ消えてしまったのかについては諸説あるが
あまりはっきりとはしていない

おれは その原因の一つには
母系社会の崩壊があるのではないかと思っている

母系社会とは 女が共同体の主権を取るというような意味ではなく
女性の血統を中心として共同体が構成されるというような意味だ
まー 簡単に言えば
娘と母親と祖母が共同体に残り
若い男は外に出て配偶者を探すような共同体の維持の仕方ということになる

文化人類学上では 人類の子育てについては
母親と祖母が共同して子育てをする特徴があったとされる
その習性ゆえに
母親は出産後の早い時期に再度妊娠することができ
個体数の維持を図ることができた
よって 災害や飢餓による個体数の現象に対し有利であったというものだ
この理論は 人類が度重なる飢餓にも耐えて個体数を復活させ続けた事実にも順接するので
十分にあり得る話だと思われる

縄文時代が言われるように母系社会であったとしたなら
そして他の地域でもそうであったように
女性が土器制作の主役であったとしたならば
縄文土器のような複雑で表現力に満ちた土器も
祖母から母へ 母から子へと共同体ごとのデザインを
丹念に伝え
その制作技法も同時に伝え続けたのではなかったかと思われる

安定的な技術の継承が 女性の間で行われたわけで
見た目の派手さこそ増加したものの
基本的なモチーフは一万年に及ぶ間もさほど変化していないのもわかる
個人の自由意志であればもっと多種多様な変化があったはずだし
早期に実用一点張りのデザインに変容してもおかしくない
集団で伝えたからこそ 少ない変容の中で
長大な時間をかけて少しづつ変化したわけだ

その後 食料事情の変化に伴い
より多くの人間が安定的に共同体を維持できるようになってから
母系で維持してきた意味が薄れ
稲作農業の普及に伴い
女性の労働時間も増えたことから
土器制作への時間的余裕もなくなり
共同体の規模も大きくなり
実用的な土器の専門職人が発生してきて
自然と手のかかる縄文土器は消えていったのではないか
そんな風に考える

母系は消えたと言っても
その名残は平安の後まで通い婚などの風習に見られるように
風度としては後の世まで残ったのだろう
クロード・レヴィ=ストロースが源氏物語を読んで
実に見事に当時の親族構造を表現していると評したのも
そのあたりの名残を認めたからだ

とすれば
あの縄文のパッションはどこに消えたのだろう?
そこが不思議だw
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