mixiユーザー(id:1940449)

2018年08月11日02:25

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心の理論

おれはあなたの心がわかり
あなたはおれの心がわかっている

という信念を人間はいかにして いつ頃手に入れたのか?
というのが心の理論の問題とするところだ

1.おれは自分が何を考えているか知っている

2.おれはあなたが何を考えているか知っている

3.おれは彼があなたをどう思っているか知っている

4.おれはあなたが「彼があなたをどう思っているかを」理解していることを知っている

というような具合に 6次くらいまでの信念を持てる
この「信念」とは一般にいうようなそれとわかっていて維持する心ではなく
行動の起点として前提となるような無意識だ
どうやらそれ以上はホモサオピエンスの場合混乱してしまって理解できなくなるようだ
そして それらが成立するのは 人間がおよそ20年程度の経験ののちになるらしい

宗教的な意識が共同体にあれば
・おれはその宗教的道徳を共同体の人々が知っていることを知っている
・共同体の仲間は 「おれがその宗教的道徳を知っている」ことを知っている
というような信念が形成されることになる
別にこれが宗教でなくとも同じことで
いわゆる「常識」とはそういうことだ
人を殺してはいけない
ものを盗んではいけない
姦淫してはいけない
強欲であってはいけない
などの「信念」を持つことになり
こういった「信念」が完成されるまでは 完全な人間ではないと看做される
どんな共同体にも成人儀礼があったことは
そういった心の理論が完成されているかどうかということと無関係ではないだろう

その経験とはおそらく自己を相手の立場においてシミュレーションすることで培われるということになっていて 
脳機能的にもそうらしいということがわかりつつある

何故に犬は人間の目を見るのか?
なんてのは この脳機能のミラーニューロンと呼ばれるニューロンに由来している
もっと言えば
何故にイルカを殺すことにあれほど反対する人がいるのか
というあたりもこういった機能故だ
一定の知能を持ち
その行動に共感すれば その生物を殺すことは道徳に反するというわけだ
これは相対論で「ウシは?ブタは?」と反論しても通じない
おそらく捕鯨国である我々でも
目の前で懐いてくれるイルカを殺して食うなどということはできはしないので
基本的に状況次第で我々は容易に反捕鯨に回るw

ただ この捕鯨の話ひとつとっても簡単に話は進まない
共同体内部に「タブーを破ることができる内部共同体」を作れば
その構成員はタブーから逃れられる
日本で死刑執行が行われても
その際の死刑執行人は殺人のタブーを犯したとは見做されない
捕鯨船の乗組員がクジラを殺しても同じだ
しかしそれらは共同体内部の便宜であって
外部に通用するとは限らないだろう

話を戻せば
心の理論はある程度までは本来的に脳に備わった機能なので
文化が異なっても変わらない
しかし その共同体の文化が果たす役割は当然大きい
社会全体が共通の強固な信念に基づいていれば
20年かかって形成される心の理論の働きは似たようなものになる
ただ 文化的には停滞を招く

急速な情報の共有化で文化的な境目がはっきりしなくなれば
人はおのずと信念の共有を他者に迫ろうとする
あるいは 情報により他者理解を行うべき相手を拡大すれば
地球市民的な思想をこれまた他者に強いることになる
この心の動きの原因は「恐れ」であり
共同体の中心的価値観から外れることの恐怖だ
普通これらの信念の方向性は
人間は両方持っているので
自己の認知能力が正常であれば
そうそう残忍な方向性を持ったり
明らかな不平等を承認したりということはあまり起らないし
起こったとしても時間をかけて修正する方向性に向かうだろう

しかし 政治が共同体の内部共同体として成立して
その内部共同体が「タブーを破ることができる内部共同体」として機能すれば
どんな残忍も「リアリズム」という単語に置き換えられてしまう
民主主義社会が広まると同時に世界的な戦争が止められなくなったのも
こういった条件が重なった結果だと言えよう
まー そういう社会では ちょっと精神的に問題があるような人間しか政治の道に入ることはないのでなおさらだw

まあ それもこれも
基本的には 興味を持って共感し相手の心を正確に読み取るという前提があっての話で
本人にそういう興味がなく
また興味がなくとも社会的なステップを上がっていくことができ
あるいは社会的な教育基盤が機能していなければ
もっと低俗なレベルで争いは起こり得る
逆に 高度に学歴社会化されたり
格差社会が横行することになれば
通常 発達段階にあるはずの子供がその発達を十分に伸ばすことができず
頭はいいがバカであることを本人は気づかないまま社会に出てきて
そういった人間が増えれば
法にしか判断のよすががないような社会が出来上がってしまう
よく言われるような「底辺」だの「DQN」だのと言った
言葉で階層化を図ることで自らの立場を成り立たせたい欲求などは
おそらく基本的にはある種の「恐れ」がその根本にある
この辺りは 完全に無意識化での衝動であって
ある程度大人になった人間が
自分でそれを認識し変革するのは無理なので
誰しも一定のこういった低レベルな争いや
共同体の道徳に見切りをつけて法のみに頼ろうとする意識は満遍なく存在するだろう
もちろんおれも含めてだがw

正しい教育ってのは難しいもんだなと思う
多分
「相手を思いやる」ってのは字面以上の意味を持っている

やっぱ愛だよ 愛w


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