mixiユーザー(id:1940449)

2016年05月23日13:51

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日本においての核

もし日本への原爆投下がなかったら
もし核があの時点で使用されなかったなら
おそらく世界は核戦争を体験しただろう

二発の核が人間の上に落とされた事は
「偶然」であって誰のせいでもない
ただ 三発目は「悪」であり「不正義」だ
そこの差は大きい
その三発目を落とさない為に
この島の住人ができることは少ないが
何故に核が他の兵器と異なる絶対的な「悪」であるか
意識を整理する事は意味のある事だろう

日本人の核に対する印象は
極めて宗教的なものであり
単なる戦略上の問題や武器としての破壊力とはあまり関係しない
それは宗教上の厳格な「タブー」に等しく
プラクティカルな選択が不能な掟だ
そこには理性による判断すら不在であるし
ともすると 自らの生存を超えた禁忌でもあるだろう
たとえ日本人が絶滅する事になっても核は撃たない
そういう強力なタブーを
日本人は戦後醸成してきたとも言える

おれはそのタブーは
憲法の平和主義にもつながるものであると思っている
だからこそ通常兵器への抵抗は少ないが
こと核に至っては拒否反応が強い
もし この世に核なかりせば
日本国は遥か以前に憲法の改正を行っていた可能性は強い
安保すら解消されていた可能性も大きい

日本の非武装論の多くは
当時の識者やマスコミの誘導の結果であるが
反核だけは違う
それはこの島にすむ住人の自然発生的な意思であり
論証できる類いの論理性を全く持たないイメージだ
で そういった類いの意思は限りなく強い
議論を要しないタブーだからだ

この国で核武装を言う人間は
どこまでいってもキワモノであって正統ではない
いつの世も上滑りの論理は多々あるが
それに与する人間がこの島で多数派となるには
数百年の時間では足りないだろう
「避妊さえすれば近親相姦も自由」というような論理が通じないのと同じだ

ではなぜ そこまでのタブーとなりえたか

それは放射能に対するケガレ感だ
と おれは思っている
最新の科学がケガレを生み出したとする意識は
原発事故にも通じる発想だ
それは意識の古層にあるもので
土地を穢すものに対する畏れと禁忌だ

だから広島で長崎で
幾万死んだという話が
戦争全体でみれば説得力を持たないと感じるのも
アメリカの論理である
「原爆がなければ本土決戦で多くの兵士や市民が死んだ」
という話がこの島の住人になんの正当性を感じさせないのもそこだ

ヒューマニズムの原理で政治が成り立っている欧米諸国には
理解が困難かもしれない
人間が死んだからじゃない
人なんかどうせ死ぬ
それより
土地が穢されたからだ
人間が穢されたからだ
どう祈れば浄化されるのかもわからないままに
その穢れを生み出す兵器が残っている事に
この島の住人は嫌悪感を持っている事を
伝え続けるべきだろう

まー なかなか伝わらんが
それしか伝えるべき事柄なんてないんだからなw




■田原総一朗「キッシンジャーも沈黙した米国の『原爆タブー』を破れるか」
(dot. - 05月23日 07:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=4005365
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