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2016年05月18日10:05

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最近読んだ本:ルネ・ラルー『フランス詩の歩み』

ルネ・ラルー小松清/武者小路実光訳『フランス詩の歩み』(文庫クセジュ 1979年)

                                   
 クセジュ文庫のフランス詩関連本は、以前、『フランス詩法』と『フランス詩の歴史』とを読みこの日記でも取り上げました(2011年2月6日記事参照)。この本は『フランス詩の歴史』のほうとテーマが重なります。どうして二冊も同じ叢書で同じテーマのものを出したのかよく分かりません。後から出た『フランス詩の歴史』が現代を広く扱っているかというと、そうでもなさそうです。片方が学者、片方が詩人が書いたという違いでしょうか。情けないことにあまりよく覚えていないので比較ができません。

 この本は学者が書いたものにしては、思い切った断言や、詩の鑑賞での個人の思いの表出が見られるように思います。例えば、中世の武勲詩に対して「これらの原始的な作品に共通した欠点は疲れを知らぬ長広舌である」(p10)とばっさり切り捨てたり、「それらの詩の人の心を打つ嘆きは次のようなものである」とか「彼がその最も美しい祈りの声をあげるのはこの時である」とか前振りをしながら、詩句を引用しています。

 引用されている詩句がそれぞれ魅力的なものばかりで、前回読んだ『現代フランス詩論』のアンリ・ブレモンの言葉どおり、詩句の断片というものが詩の魅力だということがよく分かります。それと、詩の翻訳がなかなか巧み。文語調だが的を得ていてとても分かりやすい。

 詩句そのものを引用したいところですが、大量になるので、詩人名、作品名のみ挙げると、ロンサール『秋への讃歌』(p45)と『悪魔への讃歌』の詩句(p46)、メーナールの詩句(p62)、マテュラン・レニエの詩句(p64)、レルミート『二人の愛人の散歩道』の詩句(p70)、イヤサント・ド・ラトゥウシェ『最後の悲歌』の詩句(p97)、アルフォンス・ド・ラマルティーヌ『孤立』の詩句(p101)、ユゴの詩句(p113、116)、ボードレールの詩句(p130、135)、マラルメ『半獣神の午後』の詩句(p151、152)、ヴァレリ『若きパルク』の詩句(p173、174)。

 著者は自分の頭の中にある大づかみの全体像をもとに一筆書きのように書き進めているところがあり、細かい説明を省略しているので、分からないところが多々ありました。どだいフランスの詩全体をこんな新書本でまとめようというのが無理な話だから仕方がないか。

 新しく知った面白そうな詩人、作家は、「1620年のロマン派」と呼ばれるテォフィール・ド・ヴィオー、トリスタン・レルミート、バッカス的な幻想家サン=タマンの三人組、シェニエの詩を出版し自らもロマン派的詩を書いたイヤサント・ド・ラトゥウシェ、象徴主義的小説を書いたというエドゥワール・デュジャルダン、ヴァレリの教え子で宗教的語調のカトリーヌ・ポズィ。

 新しく知ったことは、モーリス・セーヴが二十歳で耳が聞こえなくなったこと(p38)、ロンサールに「百鬼夜行」を個人的経験のように描いた『悪魔への讃歌』という詩があること(p45)、デュ・ベレーにローマの廃墟の荘厳な美を歌った詩があること(p46)、ボードレールが『悪の華』の題句をドービニュから借りて来たこと(p53)。

 本を読んで頭に浮かんだことは、ラマルティーヌ『天使の失墜』の詩句が新プラトン主義そのもののように思われたこと、マラルメ『半獣神の午後』の詩句にはボードレール以上のエロスと悪が感じられたこと、ゴーチェの説いた「芸術のための芸術」は純粋詩の考えにつながるのではないかということ、ネルヴァル『夢と人生』のなかに万物照応の考えがすでに現れていること(これはたぶん昔分かっていて単に忘れただけの話と思う)。

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