mixiユーザー(id:2230131)

2016年01月23日01:53

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The Dreaming/Kate Bush

 元祖・不思議ちゃん少女の完全セルフ・プロデュースによる、精神錯乱を思わせる一大妄想絵巻『ドリーミング』。そのあまりに濃密で狂った内容に、作り手のケイト・ブッシュは精神を病んで隠遁生活を送ってしまっているだの、根も葉もない噂が広がったらしい。

 おそらく、“ピンを引き抜け”に代表されるような、ケイト自身のエクストリームなシャウトが随所でぶち込まれていること、あるいはスタンリー・キューブリックの『シャイニング』に影響を受けて書かれたという“狂気の家”における、あまりに不気味すぎる呪術的な多重コーラスのリフ、そのわかりやすいホラーなサウンドを根拠にしていると思われる。“フーディニ”なんか展開もトリッキーで、『天使と小悪魔』のころを思わせる妖精のようなサウンドが聴こえてきて安心したのも束の間、例の悪魔的シャウトでせっかくのステキな雰囲気をぶち壊す。そして静寂のあとは、なぜかクラシカルなバイオリン。なんだこのトンデモ展開(笑)。

 逆に言えば、楽曲の構成といった骨組みの部分は、謀ったかのように計算して作られている。狂った人間はこうはならない。本当に狂った人間とはシド・バレットのような人のことを指すのであって(笑)。狂った人特有の「トリップ感」は、実は本作には希薄。ケイトは自身の音楽を隅々までコントロールできるようになったことで、半ば意識的に、あるいは必然としてこのようなオーバー・プロデュースに向かったのだと推察できる。(平静でこれなのも凄いが)

 なので、どちらかというと僕は『スケアリー・モンスターズ』期におけるデヴィッド・ボウイの諸作を思い出したりもした。発表された時期も近いし。言わば「芸術は爆発だ!」を地でいく、ナチュラル・ハイな才人というか。ありあまるアーティスティックな表現欲求、すなわち「やりたいこと」に対して、だがそれを実際の音として実現するだけのエンジニアリング(レコーディング・スキル)の部分が追い付いてない感じ。自分の才能のデカさがあからさまに手に余っている。

 ちなみに、72トラックも使って多重録音されたことも当時話題になったそうだが、正直、プロトゥールスで何トラックでも無限に重ねられようになった現代の耳で聴くと、それほど新鮮には感じられない。トラックの大半もボーカルに費やされたようで、僕はむしろ歌い手としての表現力の幅に感服した。エフェクトも縦横無尽に使いこなしながら、これだけ多種多様な「サウンド(声)」を、しかもひとつのアルバムの中で表現し尽くした歌い手が、他にいただろうか(ビョークの『メダラ』は例外とする)。
 たとえば1曲目の“サット・イン・ユア・ラップ”だけ例に挙げても、冒頭の淡々とキッチュな歌い出し、エキセントリックなハイトーンを聴かせる2ndヴァース、そしておどおどろしいエコーを身に纏ったドスの効いたコーラス・パートなど、冒頭2分だけ挙げても三人くらいの歌い手が同じ曲に存在している。

 「七色の歌声」を持ったボーカリストがいるとしたら、ケイトはその七色を虹色のように淡いグラデーションで描くことを良しとせず、ギラギラのコントラストの効いた極採色を用いる。たとえばファンタジーの世界から迷い込んだ夢見る(dreaming)魔女のように、ケバケバしく、それでいて純真な心を纏って。
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