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2014年02月24日22:35

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小説 彼女を堕とせ 蜘蛛のように(第10章)

「先生、遅れるって……先に待っててくれってさ」

「……そうか」

 ボンヤリと返事を返す。 

 夏休み前なら、まだ薄暗い程度の時間なのにすっかりと暗くなっている世界を見上げて校門前に立つ。

「何か見えるのか?」

 心なしかいつもより沈んだように東田が声をかける。

「別に……」

 俺には何も見えないし、何も知らない。 夏前には世界を手に入れたかのようにはしゃいでいたのが間抜けに思える。 

「そうか……それじゃ行こうぜ」

「……ああ」

 促されて始めて足が動き出す。 すでに東田は通い慣れたファミレスへと向かい始めている。

 俺の数歩先を歩きながら……。

 俺も引っ張られるように力無くついていく。 

 あの頃にはこんな気持ちになっているなんて想像も出来なかった。 

 『優香』という世界そのものを手に入れたつもりになって有頂天になれていたのはほんの僅かな時間だった。 

 それが東田がやってきて、大隈が現れて……手に入れたつもりになっていた『世界』はあっさりと離れて、『俺を取り巻く世界』は壊れてしまった。

 そして新しい悩みと疑問が生まれて自身の小さな幸せなんてすっかりと洗い流し、俺の苦悩なんて関係なくこの世は回り続けている。

 次々と現れる『不条理』に俺は翻弄されつづけてる。 

 それでもどうにかしなければこの世界に存在する理由すら無くなってしまうというのに、人生最大の疑問が俺の心の中を支配していた。

 村瀬祐理恵って一体誰なんだ? なぜ大隈は俺に彼女を知ってるかと問いかけたんだ? 

 そしてなにより、なんで俺はこれほどまでにあの『村瀬祐理恵』という存在に思考を奪われているのだろうか?

 いや、本当に信じられないことに、怖ろしいことに俺は『村瀬祐理恵』に夢中になっている……優香以上にだ。

 部活の終わりに間に合うことは奇跡に近かった。 

 図書資料室の中で、理由の分からない嗚咽に支配されながら夢中で俺はあの村瀬祐理恵の乗っていた卒業文集を見ていた。

 それは渇望という言葉さえ大げさに聞こえないほどにページを読み進め、彼女の名前と姿を見るたび、理解出来ない感情に心が動かされていた。

 涙と鼻水に顔をグシャグシャにしながら、それでも大きな歓喜と安心に突き動かされてまたページを読み進めて声もあげずに泣く。

 それを何度も繰り返し、時間すら忘れていた。

 念のためにと数回設定していた最後のアラーム音によってやっとこちらの世界に戻ることが出来たのだ。

 そうでなければ、俺は誰かが止めるまでひたすらあの行為を繰り返していただろう。

 もはや数分の猶予も無く、慌ててトイレに走り、おざなりに顔を洗った。

 彼女の名前と顔を思い出すたびに止め処も無く流れる『激情反応』を何度も洗い流して、部室に戻ったのと同時に大隈の今日はここまでの声が響き渡っていた。

 俺は大隈に質問しなければならない。 

 村瀬祐理恵が誰なのかを……。

 俺は思い出さなければならない。

 村瀬祐理恵のことを……。

 そして追い出さなければならないのだ……。

 村瀬祐理恵を……優香の為に。


「……っと、どうしたんだよ?」

 そんなことを考えていたら東田の背中にぶつかった。 やつが道路の真ん中で立ち止まったからだ。

「……話があるんだ」

 振り返った東田の顔は凄く真剣だった。

 周囲には誰もいない。

 チカチカとした街灯の明かりが東田の顔を照らしあげる。 そしていつになく真剣な顔で俺のことをじっと見ている。

「……話ってなんだよ」
 
 沈黙に耐えかねた俺の方から状況を進める。 

 まっすぐに俺を見つめる東田から視線を逸らしながら……。

「瀬能さんのことなんだけどさ……」

 ……………………沈黙。

 ……なんだよ、どうしてそこで一度言葉を切るんだ。 そんなことをされてはその話が俺にとってあまりよくないことであることが予想できるじゃないか。

 一瞬ためらいながらも意を決したように東田が口火を切る。 

「瀬能さんを学校に来てもらうためにせ、説得するのって俺に……やらせてくれないか?」
    
「……は?」
 
 思わずそう答えてしまった。 どうしてこんな時にこいつはこんなことを言うんだ?

「それについては大隈先生と話し合っただろ?落ちこんだ彼女のことを刺激させないためにも昔から知っている俺が適任だってさ」

 実は大隈が名づけた『瀬能さんを復帰させる会議』の初期の頃から東田は優香の説得を自分にも担当させてほしいと再三主張していた。

 しかしそれは大隈の老獪な説得と論理のすりかえによって却下されていた。

 実際に主役である東田には圧倒的に時間が足りないし、何よりそれはせっかく沈静した優香への嫉妬と反感を煽り立てる可能性がある。
 
 もちろん俺も同じ理由で反対した。 本心とはまったく違ったけれど……。

「だけど彼女は学校に来てないじゃないか!」
  
 反論する東田の言葉に顔をしかめる。 

 人間は図星をつかれると冷静に対応出来ないというのは本当なんだな。

 頭の中にかっと火がついたのを感じた。

「……ああ、そうだよ。それでもお前よりかは可能性があるんだ」

「だから俺がやるって言ってるんだよ」

「正気か?優香がどうして学校に来なくなった理由をお前だって知ってるだろ?」

「確かにそうだ……あのときに俺は彼女から逃げた。だからこそ次は彼女を救ってみせる」

「何をいってやがる……お前が動けば余計に負担がかかるんだよ……第一、お前が優香の何を知っているんだ!」

「お前こそ彼女の何を知ってるっていうんだよ!自分で言ってたじゃないかただの幼馴染だって……」

「……ただの幼馴染だけど……そ、それでも……お前よりかは……」

 とたんに言いよどってしまう。 今までに言っていた言葉と秘密が反転して自分自身の足を引っ張ることになるとは……。

 それでも東田の暴走を認めるわけにはいかない。 それは建前として大隈の言っていた理由も含め、また俺自身のためにも……だ。

「柳井先輩やら他の部員達が黙ってるわけないだろう?」

「俺が守る!納得させる!必ず成し遂げてみせる」

「な、何を……」
 
 キッパリと言い放つ東田の言葉を否定しきれない。 
 
 この男なら本当にやり遂げるかもしれない……。 

 爽やかな風のようにふわりと他者の心に入りこみ、瞬く間に部の中心になりあがってしまった選ばれた存在……かつての優香のようなこの男なら、あるいは……。
 
 ドクリと心臓が動き、どす黒い恐怖が湧き出てきた。 

 考えれば考えるほどに東田の宣言する希望が俺を追い詰めていく。

『もしかしたら出来るかもしれない』

 否定しようとすればするほどそれが出来ない。

 俺が図らずも突き落としてしまった奈落の底から優香をあっさりと救い出してしまうかもしれない想像が……。

 覚悟を決めた人間ほど強いものはいない。 

 その強さをおれ自身が知っている。
 
 最愛の人の心に消えない傷をつかせることを覚悟して地に堕とした俺だからこそ東田のまっすぐな覚悟の怖さが分かる。

「な……なんで……そこまでして……」

 狼狽して本音が口から漏れそうになる。

『なんでそこまでしてお前は優香の為に動ける?』  
 
 俺の言いたいことがわかったのか、ふっと表情を緩めて、

「……好きだからに決まってるだろ」

 なんでもないことのようにあっさりと恐ろしいことを言った。

「…………はっ?」

 空気が抜けるような言葉を出して立ち尽くす。

 全身の汗腺が開いてドロリとした汗が俺の存在ごと濡らす。

「……じつは気づいたのはつい最近なんだ」

 それから訥々と東田は好きになったきっかけを話し始めた。

 彼女が学校に来ていないことを知りながらも無意識に彼女の席を見つめてしまったとき、部活の稽古中にすらふと彼女を探していることに気づいたとき、そしてもうこの場所にいないことを知って猛烈に後悔した……そしてそのときに自分は彼女のことをどうしようもないくらいに好きになっていたことに気づけた。

 まるでテレビの中の登場人物のように東田は薄暗い街灯に照らされている。

 いや、俺が勝手にそう認識しているだけか。 

 おそらくは認めたくないのだ。 きっとこれは夢……あるいは文字通り、テレビの中の空想の世界……だったらいいのにと情けなくそう願っているのだ。

 だが現実は残酷……それを証明するように東田が俺に問いかける。

「お前は……どう思ってるんだ?」

「……な、なにが……だよ」

 口の中はカラカラ。 そして脳内では希望が崩れている音がする……ガラガラと。
 
 なんてみっともない。 東田の告白と質問に俺は完全に狼狽している。 いや狼狽どころか泣き叫びたい気持ちだ。

「……それを俺にもう一度言わせるのか?」

「……………………」

「……そうか」

 一言そう呟くとツカツカとやってきて拳を振り上げる。 

「……ぐっ!」

 怯えたがゆえの沈黙は強烈な一撃と共に覆された。

「いい加減にしろよ!いつまで中途半端に彼女に接してるつもりだ?いったいお前は瀬能さんをどう思ってるんだよ!お前にとって彼女ってなんなんだよ!」

 間髪いれずに入る二発目は東田が『こちら側に来ている』ことを表していた。

「……っ! お前なんかに理解できることじゃないんだよ!」

 『こちら側』に来ている東田を渾身の力で殴りつける。 

「理解できないって、なんなんだよ!」

 ガツンとした感触ごと拳が俺の左頬に叩きつけられ、

「だからお前になんかわからないんだよ!」

 その勢いのまま奴の右側にまっすぐにパンチをぶち込む

「言わなきゃわからないだろ!」

「うるさい!馬鹿野郎!」

「お前の方こそ馬鹿だろうが!」

 一体何をしてるんだろう? スポットライトのようにポッカリとふちどられた丸い灯りの中で俺達は殴り合っている。 
 
 こんなことをしていても優香は学校には来てくれないし起き上がってもくれない、
 
 何の意味も無い……自己満足ですらないこの行為を俺達は続けている。

 もしかしたら俺達自身がこの世界で一番の馬鹿野郎なのかもしれない。

 そんな気さえしてくる。

 でもその反面、殴られたところは熱く痛む。 その痛みによってアドレナリンが噴出するのか身体はそれ以上に火照り、内側からはかっとした力が沸いてくる。

 ボンヤリとした暗闇の中をはっきりと照らしてくれる光の中を鈍い音が響く。

 愚かな小競り合いは唐突に終了した。 

 すぐ近くを三人組みの男女が通りかかったのだ。 
 
 とたんに自分達のしてることの無意味さに気づき恥ずかしくなってしまう。

 東田も同じなのか、俺が殴りつけた場所以外を赤くさせながら振り上げた拳をおろす。

 そして俺も荒い息を吐きながら腕をだらりと垂らす。

「はあ、はあ、はあ……何してるんだろうな……俺達」

「はあ、はあ、ははは……本当にな」

 そう恥ずかしげに笑う東田に俺も同意するように視線を下に向けた。



「……それで、一体何があったのかしら?」

 『女教師モード』の大隈は席について、俺達の顔を交互に見てから問いかけた。

「……別に」

「……ちょっと転んじゃって」

「……二人同時に?」

 当然のツッコミに二人で視線を逸らしながら、あらかじめ頼んでおいたコーヒーを同じタイミングで口をつける。

 コーヒーが口内にしみる。 
 
 説明しようとしても説明できることではないし、バツが悪い話なので絶対に大隈には話さない。 

 おそらくは東田も同じだろう。

 こんなところで奴と気があうことになるとは……。 余計に恥ずかしい。

「まあいいわ……男の子ですもの、色々あるんでしょうね……たぶん」
 
 多少の含みのある言い方ではあるが、大隈は俺達の傷については触れなかった。

 その後はいつもと一緒といえば一緒だ。

 違うところといえばタイムリミットが迫っていることと、優香の状態が悪くなっているというところくらい。

 学校に来ている報告では優香はいわゆる摂食障害というものになっているようで、注意して様子を見続けるという。

 東田は大隈に自分も優香の説得に参加させろとは言わなかった。

 あれだけ殴り合ってその気力がなくなったのか、それともあまりしつこく言えば大隈に俺達の傷について邪推されるのを警戒したのか……俺にはわからない。

 俺の方はと言えば口の中を切ったようで、喋るのが億劫なのと自分自身から報告するようなことが無いので黙りこくっていた。 

 会議は何の進展も無く終了し、東田はそそくさと帰っていった。 

 俺は奴と同じタイミングで席を立てばまた帰り道が一緒になるので、少しだけ時間を置いてから席を離れることにした。

 大隈と二人きりは居心地が悪かったが、それでも東田と一緒に帰宅するよりはマシだ。

「それで何があったのかしら?」

『女教師モード』から『本来の自分』に変わった大隈はからかうような含み笑いをしながら俺に質問を投げかける。

「階段から落ちたんだよ」

 さすがに東田と同じと答えはまずいと思ったのでそれだけ答えた。

「へ〜、顔の両側にあざをつくような階段の落ち方ってどんなかしら?」
 
「…………」

 ニヤニヤ笑いをする大隈と目をあわせないように顔をそむける。

「それじゃあんたの方から私に質問はあるかしら?」

「…………別に」

 試すような言い方への反感と突然の逆質問にドキリとしてそう答えることしか出来なかった。

「……それじゃ私の方から聞いてみましょうか、村瀬祐理恵について聞きたいんじゃないの?」

「ど、どうしてそれを……」

 言った後ではっとしてしまった。 そしてその行動自体がこの女を喜ばせてしまっていることに気づいて奥歯をかみ締める。
 
 そんな俺の姿を見てニヤリと笑った大隈は席を立つ。

「ど、どこへ……」

 まるで子供のような弱気なことを言った後で慌てて口をつぐむ。

「……お会計よ、教えてほしいんでしょ?彼女のこと……」

 そういって大隈はテーブルの端に置いてあった紙を手に取った。 






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