デヴィッド・ボウイの音楽には、躁鬱病患者の所作を思わせるところがある。
この発言が差別にあたるのであれば陳謝する。だけど、アップダウンを繰り返しながら病的なまでに変化していくボウイのキャリアを眺めていると、ふとそのような不謹慎な感想を漏らさずにはいられない。
鬼気迫るようなテンションで攻め立てたかと思えば、次の瞬間には膝を抱え込んで内省に転じる。基本的にボウイのアルバムはその繰り返しだ。もちろんそんな単純には別けられないんだけど、たとえば『
ヤング・アメリカン』なら「躁」、『
ロウ』なら「鬱」といった具合に。
そういう意味で言えば、本作『スケアリー・モンスターズ』は間違いなく「躁」にあたる。全編に亘って攻撃的なヴァイブに満ち満ちている。いわゆるベルリン三部作で習得したサウンドを使って、グラム時代の楽曲を書いた、みたいな感じか。難解ではなく身構えずに聴ける内容となっている。
さらに、当時の先端だったニューウェイブへの目配せも随所に感じられる。前作『
ロジャー』はアフリカンだのジャーマンだのどっちつかずの作風だったが(それゆえ評価もどっちつかず)、本作では思いっきり「こっち側」に針を振り切っている。割り切り方が潔い。
クレジットを見ると、おなじみトニー・ヴィスコンティやカルロス・アロマーなどに加え、Eストリートバンドのロイ・ビタン、ロバート・フリップ、ピート・タウンゼントなど錚々たるメンツが名を連ねているらしい。ただし、それぞれ個性的なプレイが別け隔てなく混在しているため、正直どの人物がどのパートで貢献しているのか判別しづらいカオスと化している。
「みんな好き勝手やっちゃってよ」とかボウイが指示してたんだろう。とにかく大変なことになっている。のっけから(“イッツ・ノー・ゲーム”)オノ・ヨーコを思わせる恥ずかしい日本語朗読が始まってしまい、ずっこけてしまいそうになるし。ちなみに、その後のボウイの絶叫はキ○ガイそのものである。
つまり、聴いてるリスナーにも相応のカオスを求められる作品。
というか最近は、
プリンスとか
ロキシー・ミュージックとか、カオスな音楽ばかり聴いてたので、正直こういう系は疲れてしまったのもある(笑)。だからこそ余計に、“アッシュズ・トゥ・アッシュズ”のような美しいバラッドが素直に沁み入ってくる。バランス的にもこういう「鬱」な曲が多くを占めてたなら、もっと良かったように思う。
というわけで、色んな意味で病的なアルバムかもしれないが、ボウイ史上もっとも活気に溢れた快作であることも間違いない。うん、「快作」という言葉が相応しい。
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