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2022年04月24日20:53

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大河ドラマ 鎌倉殿13人「第16回 伝説の幕開け」

・北条義時と八重との間に生まれた男の子は、源頼朝から金剛という名が与えらえれる。
 そして、北条時政が伊豆より帰ってくる。時政は此度の上総広常のようにいつ謀反の疑いがかけられるかと思うと恐ろしくなり鎌倉へもどってきたようである。

・源頼朝は源義経の援軍として総大将に源範頼、戦奉行に梶原景時を命じる。そして墨俣にて範頼軍は義経軍に合流する。義経はすでに木曽軍と小競り合いを起こしたことを範頼に報告する。範頼はその小競り合いは範頼が命じたこととし、義経の行動を大目に見る。

・京の木曽義仲は源義経にともに平家を討とうと使者を送る。しかし、義経はその使者を頼中の誘いに応じず、その使者を討ち取り、その首を送り返す。そして義経は範頼軍を瀬田より、義経軍を宇治から二手で攻めるよう作戦を立てる。あわせて、源氏の兵はたった1千との噂を流す。

・木曽義仲は送られてきた使者の首をみて、源義経は挑発をかけており、軍は近江と宇治より二手で攻めてくる作戦を見抜く。そして噂通り義経軍の兵は1千と信じ、義仲は勝利を確信する。しかし、義仲は義経軍の兵は1万以上にのぼることを知り、京を捨て、北陸へ退く決断を下す。

・木曽義仲は京を離れる前に後白河法皇に挨拶するが、目通りはかなわなかった。そして義仲は近江にさり、その入れ替わりに源義経が京入りし、後白河法皇と対面。後白河法皇はしばらく体を休めるよう義経に言うが、義経は義仲を討ち取ったあと、その後、平家と
戦う考えを示し、後白河法皇は感心する。

・木曽義仲は巴御前に義高への文をたくし、巴御前と別れる。その後、巴御前は源範頼軍に捉えられ、義仲も矢で討ち取られる。

・鎌倉では源頼朝は源義経より木曽義仲を討ち取つた旨の報告を聞く。一方、北条政子は
人質 木曽義高の身の危険を感じる。一方、義高は父 義仲が討ち取られた事実を知らず、大姫と仲良く遊んでいた。

・木曽義仲を討ち取った源義経軍は次は一の谷に陣取る平家を攻める作戦を立てる。梶原景時は敵の裏をかき、義経に北の山から攻める作戦を立てる。それに対して、義経は北の山から攻める作戦については賛成であったが、あらかじめ義経軍の手のうちを明かすために北の三草山の平家を倒すことを提案し、北の山は予想外の崖から攻め降りる作戦を示す。景時は義経の作戦に同意する。あわせて義経は後白河法皇に平家との和議を申し出る書状を送る。これは平家の油断させる義経のだまし討ちの作戦であった。

・後白河法皇は源義経からの書状を受け取り、平家に源氏との和議の手紙を送る。しかし、平宗盛は亡き平清盛の遺言である源頼朝を討ち取ることが頭に残っており、源氏と和睦することを躊躇する。

・源義経軍は北側の鉢伏山に到着し、かなり険しい断崖絶壁より駆け下りることを提案する。梶原景時は義経の作戦に反対する。それに対して、義経はわれらの兵だけで行き、馬からおり、馬だけを先に崖を下らせ、人はあとから崖を降りる考えであった。一方、源範頼は生田口にて平知盛と対戦する。

・北条義時、梶原景時らが鉢伏山から下りてきたとき、すでに源義経らは険しい崖を駆け下り、平家の本陣を圧倒していた。

(感想)
・木曽義仲は源義経と戦う気はなく平家とともに戦う考えを示していたことは知りませんでした。今回は義仲の朝日将軍の話が出てこず残念です。

・木曽義仲を討ち取った旨の源頼朝への報告、土肥実平、和田義盛、北条義時、梶原景時、源義経の報告の仕方が描かれており、面白かったです。

・源義経が後白河法皇通じて平家と和睦しようという話、もし平清盛の源頼朝を討ち取る遺言がなければ平家は源氏との和睦に応じていたでしょうね。

・一の谷の奇襲のシーン、実際に馬が崖を駆け下りるシーン、CGでいいから見てみたかったです。
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