mixiユーザー(id:2230131)

2009年11月18日00:11

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Innervisions/Stevie Wonder

ソウルでもモダンR&BでもJ−POPでもなんでもいいんだけど、いわゆる「シンガーを前面に押し出した音楽」を聴いていて、僕はしばしばゲンナリさせられることがある。例えば、取って付けたかのようにボーカルに対してオケを加えたような、いかにも人工的な匂いを感じずにはいられない演奏/プロダクションが、この手のジャンルには多いような気がする。
もちろん歌い手ありきの音楽なんだから、バック・バンドが添え物に徹していたって一向に構わない(好きではないが)。それより悪いのは、プロデューサーの意向によって、急に手練のミュージシャンを集めたビッグ・バンド編成になってたり、シンガーの個性にそぐわない流行のサウンドを取り入れだしたと思える時である。これは危険な兆候だ。
ライヴなんかではそれが顕著になってくるんだけど、シンガーがフェイクを混ぜたりして自信たっぷりに歌いあげるものの、演奏を聴けてないために独りよがりな歌になってしまう。結果として、コードの美しさを台無しにしてたり、曲のグルーヴを殺していたり、逆に演奏者が歌い手と異なる解釈のチグハグなプレイをしてたり。
このような、歌い手とバッキングが乖離してる音楽には、僕にはいまひとつ一体感というのを感じることができない。

いくらシンガーが素晴らしい技量を持っていても、そこに音楽的コンビネーションが生まれてなくては意味がない。歌い手ありきとは言っても、その場に発生している音すべて含めて「音楽」は成り立っているのではないかと、僕なんかは思ってしまう。
具体的にそういった悪い例はいくらでも挙げられますが、角が立つのでこのへんでやめておきます。

そこにきて、スティーヴィー・ワンダーの『インナーヴィジョンズ』は完璧だ。
スティーヴィーが優れたシンガーであることは疑いようがないが、本作ではその素晴らしいボーカルと等価のものとしてバック・サウンドが置かれているように感じる。このアルバムで鳴っているすべての音に意思が通っていて、すべてに等しくスティービーの「歌心」が宿っている。それらが有機的に絡み合った時、そこには一つの「総合的世界観」と言えるようなものが表出される。
本作に感じるそれは、まるで神に向かって一心に祈りをささげているときのような、スピリチュアルで神聖なフィーリングである。例えば本作は、大らかで開放的なソウル・ミュージックをベースにしてるはずなのに、なぜか息苦しいまでの緊張感が張り詰めていることにも表れている。どこを切り取っても、スティーヴィー・ワールド全開の作品。

まあ、それもそのはずで、このアルバムでは作詞/作曲/編曲と、ほぼすべての楽器をスティーヴィー自身が演奏しているのだそう。そんな独立体制で作り上げたものが、逆にスティーヴィーらしさを感じないわけがない。「嘘が一切ない表現」とでも言うべきか。

また、前作『トーキング・ブック』では、未だシンセサイザーの未知なる可能性に取り憑かれてるような印象があったが(そんな宅録っぽさも魅力ではあったが)、ここではそんなアマチュアリズムは完全に脱した感がある。もはや音色に対するオブセッションは皆無。ファンクの躍動感はよりナチュラルに全編に取り入れられているし、バラッドでは徹底的に甘くセンチメンタルに奏でられる。さらに“汚れた街”に象徴される、明確な政治性を持った楽曲を忍ばせることも忘れない。つまり、肉体性と精神性、あるいはポップ・ミュージックとレベル・ミュージックの対置など、とにかく絶妙なバランスの上に成り立っている。

これだけ万人にオススメできる万能なディスクというのも珍しい。
ブラック・ミュージックが好きかどうかなんて、一切関係ない。
すべての音楽を愛する者に捧げる、神聖なる一枚。紛れもない傑作。
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