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2006年09月26日14:00

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児童劇団の話1

あるコミュニティで昔の話が出たので、ちょっと思い出でも書いておこう。

わたしが育ったのは港区の芝浦と言う所で、今は廃校になった小学校に通っていた。
二年生のとき、学校に来ていた団員募集の広報を見た担任に勧められて、NHKの児童劇団に入ることになる。
一応、二次まで試験があったのだが、一次は飛行館という、NHKの前にある建物でやった。
幕が閉まった舞台の上で、何か読まされた。
まだラジオの時代だったから、声が重要だったのだろう。
このとき、隣に座り合わせた子と話せたので、合格したら仲良くなれそうだと思ったのだが、二次審査のときその子は居なかった。
二次審査はまだ実験放送という段階のテレビのスタジオだったと思う。
「物を運ぶ動作をしてください」などと言われて、重いものを持ち上げて運ぶまねをしたり、質問に答えるなどしただけで終り。
演技を見たのかなと思っていたのだが、卒団してから聞いてみたら「この子可愛いね」とか言って丸にしていたんだそうだ。

入団して、最初は「稽古」。
発声練習をしたり言葉に慣れる為として、しりとりをした。
東京放送劇団の黒江悠久という方が指導されていた。
夕方放送していた「チロリン村とくるみの木」という人形劇で、くるみのがんこさんの声をやっていた人だ。
そのうち、練習用の台本を読む。
「エミ子の秘密」「瓜子姫とあまんじゃく」などだが、「外郎売」は調子がいいので、いまだにそらで言える。

出だしこそ真面目に通っていた稽古日だが、日曜だったのでだんだん行かなくなった。
二年の後半からラジオのレギュラーをもらったので平日に二日通わなくてはならないから、日曜は遊んでいたかったのだ。

「仕事」は、最初は「ガヤガヤ」という、後ろでその他おおぜいの声を出す役をやらされるのだが、行ってこいといわれた番組で声を出さなきゃならない場面は無くて、何もしないで帰ってきた。
スタジオに慣れるという目的は達したのだろうが… (^_^;)
レギュラーとなった番組は「よっちゃんの絵日記」という小学校低学年向きの社会科の番組だった。
こちらがやる寸劇を教材にして授業を進めるというものだが、放送を授業に利用するということが始まったばかりで、地方の雑貨屋の息子のよっちゃんの日常を描写しながら話す言葉は標準語が厳しく求められるという、今から見たら何だかおかしなことになっていた。
その場で直すばかりでなく、怪しい場合にはアナウス室あたりに電話して、正しい発音を聞く。
おかげで、日常の話し言葉も標準語しか喋れなくなってしまった。
テープは使いまわしだったので、この頃の録音は残っていない。

私の役は主役の「よっちゃん」。
なぜ私が選ばれたのかよくわからなかったが、どうもあの出来事が理由だったように思う。
役を決める前にディレクターの部屋に連れて行かれた。
劇団の先生から入口で、ディレクターの所に行って一人で挨拶して来いと言われたのだ。
二年生の私が、大人だけが働いている部屋で初対面のディレクターに挨拶するのはかなり勇気がいった。
だが、これが仕事というものかと思ってやったのだ。
そのディレクターも、周りの人もちょっと驚いていた。
…で、どうやら気に入られてしまったのだ。

この番組は結局、それから四年間、私が小学校を卒業するまで続いた。
今でもそうかもしれないが、「本読み」という練習に一日、「本番」に一日の二日で録音するのが通例だった。
テレビの場合には「立ち稽古」と言うのが入るので、さらに時間がかかることになる。
これが嫌さに、テレビは4本しか出なかった。
このうち一本はナレーションなのでラジオと同じ。
一本はクイズ番組の出題者だが、素人の役なので演技は不要。
一本は洋画のアテレコ。
一本だけがドラマだったが、最初に出された番組だったので、その他おおぜいだった。
テレビの話もいろいろあるのだが置いておいて、ラジオの話に戻ろう。

本読みのとき、台本を通しで読んで時間をはかり、ディレクターが、必要に応じて台詞を削ったり書き加えたりした。
今なら著作権の問題で裁判になりそうなことを、この頃はごく普通にやっていた。
Oさんという、後にプライベートでもお付き合いするようになるディレクターの番組に出たら、1ページとか2ページという単位で削り、自分で台詞を書いてしまったので驚いた事がある。
この方は、ちょっと極端だった。
どうしても直したくて、倉本聰さんのお宅までお願いに行った事があると話しておられた。
作家がらみでいえば、いのうえひさしさんはこの頃から遅筆で、お宅には原稿を取りに集まった編集者やらがしょっちゅう詰めかけていたらしい。
それを、お宅の中二階で好子夫人がマージャンしたりして間を繋いでいたんだそうだ。
好子夫人と言えば、喫茶店で待ち合わせると時間前に行っていて、中でお茶を飲んでいる…のではなく、入口で立って待っているのだそうだ。
そしてこちらが行くと「まぁまぁ、おひさしぶりです。お逢いしたかったわぁ…」などと言う調子で手を握ってくるような方だったとか。
「下町の知恵なんでしょうね」とその方は話しておられた。

6年の時には、「わが家の伝言板」という番組の準レギュラーにもなったので週四日、NHKに行った。
「わが家の伝言板」は、池田弥三郎とか渋沢秀雄・田辺靖男などという方々と模擬家族になって、彼らのトークを織り交ぜながら穏やかな時間を過ごしましょうという、土曜の午後に放送されていた番組だった。
わたしは「くー坊」というそこの息子の役だったのだが、田辺靖男さんの弟になっていたわけである。
それぞれに薀蓄を持った文化人だったので、台本を見ると「このテーマについてお話ください」みたいな書き方がしてあったりする。
私は小学生だから、薀蓄も何も無いのでそんな役回りは回って来なかったが、ディレクターが一度くらいくー坊にも喋らせてやろうと思われたようで、そのころ趣味で集めていた切手について喋らせてくれた。
一番高い切手…と言っても「月に雁」とか「見返り美人」くらいしか知らないので、そんな話をしたようだ。
まぁ、子供らしくて可愛くてよかったのだろう…ということにしておく(汗)

おっと、だいぶ長くなったので、このくらいにしておこう。
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