土曜日のお出かけの続きです。いつの間にかお昼過ぎになっていたので、昼食をとる所を探していたら、茨城県常陸太田市里美町の野菜直売所で食べられそうだったので、停車したら、かかし祭りをやっていました。前にも書いたように、最近スズメがいなくなってし
花園神社からの移動中、山間部の田圃が見えたんですが、まだこんな干しかたをしているところがあるんですね。弟は、乾燥機で乾かすより米が美味くなると言ってました。ただ、川沿いの棚田など、耕作放棄地も目について、残念な思いでした。若者が街で就職して
土曜日は出かけていました。先ず向かったのは北茨城市の花園神社。花園渓谷の奥にある神社で、『茨城県神社誌』によると、延暦14年(795)、坂上田村麻呂が奥州討伐に向かう途次、霊夢によって創建したとも、円仁開山とも伝えられる古い神社です。御祭神は大
「白鳥庫吉全集」第10巻の月報に孫の芳郎氏が思い出を書いている。庫吉が中学に通っていた明治12年ころ、千葉中学では27歳の那珂通世が校長で、22歳の三宅米吉が英語を教えていた。その授業で「School」を「スチュール」と発音していた。それを参観していた那
「昭和史の謎を追う」(秦郁彦)を読んでます。1982年度のドキュメンタリー大賞をもらったNHK特集「わたしは日本のスパイだった」で紹介された「東」情報の話。これに関してはちょっと思い出がある。児童劇団の後輩だった(年は同じ)矢倉さんのことだ。この
土曜日は出かけていて、往復の車中と待ち合わせの時間に本を読んでいた。読んだのは久保田収の「神道史の研究」から、「石清水八幡宮の崇敬と正直の理」など。久保田収は東京帝国大学で平泉澄の薫陶を受けた人で、これを出版したころは伊勢の神宮皇学館大学で
「弘法大師と密教美術」展のカタログのスキャンが終わりません。しかしまぁ、こんなに持ってきちゃったんだとびっくりする内容。これは高野山の宝寿院が所蔵する六字尊像。かなり流行したらしいが今はこれだけしか残っていないと解説にありますが、MOA美術
久しぶりに日記。親が買っていた地図のスキャンをした。先ずは「最新大亜細亜地図」。雑誌「キング」の昭和12年新年号の附録だったらしい。「キング」は日本出版史上初めて発行部数100万部を突破した国民的雑誌で、大日本雄辯會講談社はそれで大きくなったよ