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2006年09月22日17:08

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研究会

午前中墓参りに行こうと思っていたが、雑用が入って行けなかった。
午後から学芸大で三楽会。
レポーターなので遅刻するわけにも行かないと思って急いで行ったのだが、どうも開始時間を間違えていたようで早く着く。
これなら墓参に行ってからにすればよかった。

時間があったので、最初に靖国神社の話の続きをする。
太平洋戦争までの戦史について話せば話せたが、これはもう1時間や2時間で終わらないのでその辺はつまみ食いにして、資料の最後に名前を挙げておいた阿南 惟幾・大西 瀧治郎について話す。
敗戦・特攻の責任をとって終戦の日に割腹自殺した人物である。
介錯をつけず、苦悶の中で絶命するのだが、それはそれで責任をとった死に方、戦死ではないかと思う、
ところが、陸軍の中枢にいて前線の独断専行を追認し、戦線を拡大させて行った張本人でありながら前線での苦労もせず責任もとらなかった木村兵太郎や武藤章、ナチス流の国家社会主義者でドイツと結んで米英と対決する路線をひきながら結果責任をとらなかった平沼騏一郎・松岡洋右・白鳥敏男などが、自決もせずに生き延びて、「敵」の手で縛り首になったからといって、何で英霊になるのか自分にはわからないと話す。
だから、参拝した人に意見が聞きたいと言ったのだが、ガイドツアーに参加した二人はあのあと「私たちって何も知らなくて非国民ね」等と話し合ったのだそうで、問いに対する答は無かった。

東京裁判の問題点も話した。結局戦勝者が負けたものを裁いたのだというわけだが、それを不当と言うなら山下奉文など、海外で死刑になった人たちをなぜ靖国神社に入れないのかという点も疑問。
盧溝橋事件に関係したばかりでなく、インパール作戦で撤退命令を出させず、2万とも3万とも云われる餓死者を出しながら、戦犯にもならず天寿を全うした牟田口 廉也を裁けなかった日本人に、戦争指導者が裁けたのだろうか?
満州事変を石原莞爾と共に引き起こした板垣征四郎の息子も小林多喜二や野呂栄太郎の殺害を命じた警視庁特高部長・安倍 源基の息子も戦後に国会議員。
この国の支配層というものは、敗戦を挟んでもそんなに変わっていないのではないかという話になった。

雑談の時間が長くなってしまったが、レポーターとしての責任を果たさねば…(^_^;)

作品については前の日記に書いたので省略。

なかなかいい作品だという話になる。
中国詩人選集にも取られている。

終わってから、瀛奎律髄の版本に関する一覧表が出てきたので、それにのっとって出版系統の解説。
…などを長々とやっていたら5:30になってしまい、あわてて帰る。


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