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2026年11月01日23:53

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「我々は宇宙人」を見て。〜思い違いに、すれ違い。時の流れに、憎悪と悪意を薄める一方、恋慕に友愛も強めたけれど。「またね」の重みは、少年期に勝るもの無し〜

 馴染みのスタジオによるキャラの整って美麗な作画ではなく、TVからの劇場版移行や原作付きでも無く。表立った仕事としては、ミュージックビデオくらいの実績で、長編初製作となる門脇康平氏によくぞ、先に挙げた条件なぞ見当らないお客を呼ぶのには不利なオリジナル作品にゴーサインを出した事に、まず驚きました。

小学校3年生の時に、「一時」は気心触れる仲であったのに、周囲からの影響や自意識の強さ、行き違いにつかの間の悪意の発露もあった後、互い関与することなく歩んで来たのだが。同級生同志の結婚式後の懇親会があった晩、成人後、思わぬカタチで再会した二人の男の回想が映像の殆どを占めている。

小学校時代は、物怖じな性格故に教室でも目立たないように授業時間をやり過ごしていたタイプの翼の回想から始まる。如何に自分が心地良く過ごせるかが判断基準で、周囲を思いやるにも思慮に欠け、経験も常識も吸収過程故に目前の事もタダその通りに受け取るだけだった小学生時代が特に尺が割かれて。中学生以降は素行の悪い奴らに引きずられるまま過ごすも、高校終わりには帳尻を合わせ大学生活を経て普通に就職して。披露宴から一次会に席を変えて小学校時代の思い出話に暮れ、自宅帰りの寄り道でも思わぬめっけモノもして、歩んできた道のりを振り返り酔いも手伝って都合の良い過去のみに浸っていたのだが。

それを映像で見せる過程には、翼の主観だけあって事実として示されるも。理由や背景が当然示されない幾つかの場面や出来事が、見ているこちらには引っかかりとして意識に積み重なって行く。再会の相手である、出会った小学校の頃は、目に付く圧の強い騒がしさから教室のムードメーカー的存在であった暁太郎なのだが。些細な切っ掛けで、つま弾きされる様になったうえに家庭の事情も重なって、出会った時には、進学どころか貧困のどん底にあって。

暁太郎の回想ターンになって、先程の見る側の意識の片隅にオリの様に堆積していた引っ掛かりが、ことごとく氷解して行く。ストーリー展開や心象の掘下げに重きを置く実写作品を思わせる構成なのも、ダークホース的異質さが受け止められる。

当然、ミステリーじゃ無いから、その別視点の反転の意義は謎証しではなく、翼が気付き得なかった暁太郎の心情や事情を示すと同時に、思春期手前の稚拙な時期故の心酔や思い込みにすれ違い。中でも翼との関係で、互いの未成熟さ故のクラスの同調空気による追随からの反目までの経緯が、観客にはそれらが繋がると共に、イノセンスで居られた頃の語らずとも判りあえた頃の輝きと、必ずしもそれが永遠とはならない無常を知らしめる。

小学三年生時分の暁太郎が、確か「最強の剣先は?」と投げかけて、互いに描いたものの理由付けを明かす際に。彼は、国旗掲揚のポールの先のボールのカタチを描いて。一見して、ダメそうなのに堂々とした態度で、「相手に突き付けて、体をえぐる」等とまくし立てて。翼は、ただそれに気圧されるばかりだったのだけど。その発言が、がさつに見える暁太郎の家族への敬愛の深さの現われであるのを知らされるうえに、成人した再会後のくだりでは、その当時の違和感なんか忘れているかもしれない翼にも、それが「あらわ」となる追い打ち場面が痛烈で。初長編作にあたっての深い創作信念が伺われる。

宣伝パターンは、少年期のノスタルジアを思わせるのに、タイトルがそれを想像させないのだけれど。作品を見終わる時には、タイトルに持たせた、あの年代の思い込みに細やかな思い出と夫々が抱いた意味合いを負わせていることに知らされる。

回想が多くを占めて、その中には主体の想像も入って。今から干支一回り分位の時代の再現性と現実感を維持しながら、細やかだけれどイマジネーション的な描き方を入れてもそん色ない世界観を見せる意義や、橋の上から覗き込んで見える川の流れや、高架下(これらの場面の重なりも意義深かったなあ)の自在な構図なども、実写的作り込みの台本であってもアニメーションとして撮る意義がありますが。あと、たまに映るショットが実景写真に近くて、実写に画を重ねる「ひゃくえむ。」と同じ手法かと見まがってエンドロールを確認するも、字が小さくて老眼には無理でした。

私が、アニメーションならではの印象を強く焼き付けたのは、もう一つのこの年頃に欠かせない、まだ体と気持ちが備わっていない頃の好きなひとを初めて意識するも、どうしたら良いかも判らない「恋慕」の思いに暁太郎が、出くわすシュチュエーションです。

プールの授業の一環で、プールの底にガラス製のおはじきみたいなキラキラと輝く玉みたいなものを取るべく、それを追って潜った暁太郎が、玉の向こう側、プールのスタート位置下に同じように潜って、水槽の壁部分を背にして体育座りでじっと彼の方をみているクラスメートの小夏と目線が合う場面。他の子供たちが、はしゃいでいるのを余所に、自分の世界で見つかった彼女を、理解者として「特別」と思ってしまうのには不思議はないです。さすがに、これと重なる思い出は無いにしても、同じ小学生時代の頃、ちょっとした状況で舞い上がってしまった、封印された痛い年少の思い出を呼び起こしてしまった。

青年期の翼の声は坂東龍汰さんが充てていたけれど、どっちかというとこの後の実体出演した「わたしの知らない子供たち」の印象のが勝って。対する底辺の暮らしに喘ぐ暁太郎を担当した岡山天音さんは、幼年期からの想いへの偏執っぷりをシッカリと声に載せてキャラクターの肉付けに大いに貢献していた。「BLUE GIANT」で、ジャズの才能ある二人に、短期間でドラムを習得するガッツをみせる玉田役での実直さとは対の根性ねじ曲がった青年像は、実写でも天音さんからも得意とする役柄故の安定感か。

冒頭、お客を降ろしたタクシーが、首都高の高架下に駐車されて。運転手が、しばしサボる件とか、北野武作品の「キッズ・リターン」のワンシーンを思わせて。不穏な空気が流れたのも、何か違うアニメーションであるのを予感させました。

「じゃあね」って、お別れに交わしあうのは、少年期を描く作品には、イノセンスやノスタルジーの描写として鉄板ですが。あいまいな、再会の約束の言葉で、幼いころは、繋がりの「終わり」まで考えてはいなかった。対して、年月経て大人となっては、文字通りそれは、言葉だけで表面通りに再会をあいまいにしている事は、経験上知っていて。この辺りの重ね方に、新進監督のただ者ならざるところの現われなのかと思った次第です。

拙文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
シネマサンシャイン沼津ららぽーと シネマ8にて
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