カール・ディール&ティア・レッシン監督「どうぞ この記事を盗んで! エイミー・グッドマンの記者魂」(2025)。
NHKの「BS世界のドキュメンタリー」で、2回に分けて放送しました。合計98分ありましたから、本来の上映時間とほとんど大差ない放送だったと思います。←もっとも、日本語吹き替えなどによる“オリジナルの主張”が“減衰”している可能性はありますが、それを問題にすると、“日本語版”で鑑賞するという姿勢を疑う必要が出ますから、しません。
とにかく98分、怒涛のようなドキュメンタリーでした。しかしその内容よりも、imdbのトリビア欄に、“ドキュメンタリーでは触れられていないが、エイミー・グッドマンは、ジャーナリズムに関する正式な訓練を一度も受けたことがない。大学では人類学を専攻していた”という記載があったことに、僕は愕然としました。
いやはや、“ジャーナリズムに関する正式な訓練”って何やねん? 大学でジャーナリズムを専攻することか? そもそも“大学で学ぶ”ことが正式だなんて考えている人間が存在するということが、僕には大いに不満です。つまり、物事は学校で学ぶ必要なんかないのです。むしろ学校での“教育”は、とことん人間性を歪めてしまう可能性があると僕は思う。
そういう意味で、自身のストレートな感覚で社会に対して切り込んでいくエイミー・グッドマンの姿勢は、僕にはエド・マローというテレビ黎明期のひとつの理想的なジャーナリストの姿と好対照の、“これぞジャーナリズム”だと思えるのでした。僕の考えでは、ラジオであれ新聞であれ(そしてSNSであれ)、何らかの媒体を用いれば“正式”です。
問題は、取材者の立場が正しいかどうかだと僕は思います。エイミー・グッドマンの視点は、実に見事なアメリカン・ウェイに基づいていると僕は考えています。つまり、自ら信じる立場をとことん突き詰めたら、それは“正義を目指す”方向性を獲得するのだということ。正義は、それを直感することからスタートするのだと考えます。
もちろんimdbのトリビア投稿者は、エイミー・グッドマンを“無知だ”と批判しているわけではありません。しかし僕には、“しかるべき大学で学ばないでここまで見事なジャーナリストになった”という論法には断固反対したい。しかるべき大学というものが存在するかどうかを含め、学ぶことの本質を無視してしまうような論法なのですから。
それにしても、確固たる信念をぶつけるエイミー・グッドマンに対して、政治家たちが“彼女は活動家でありアカだ”というレッテルを貼り付けていく、マッカーシーに代表される論法を今なお繰り返しているのは、よほどエイミーの言葉が“怖い”からなのでしょう。そうでなければ、まともに正面から論破しようとするはずですから。
小規模なラジオ番組であれ、いかなる媒体で発する言葉であっても、正しいことは心に響きます。響かない人は堕落している人だというしかない。そういう意味で、ブレることなく発信を続けるエイミー・グッドマンには、その姿勢に対して敬服した訳です。こういう発想をすべての人に持ってもらえば、世の中はもう少しマシになると思うのですが。
とりあえず、何かと“偏り”と非難されるNHKが、このエイミー・グッドマンの基本姿勢を描いたドキュメンタリーを放送したことは、“快挙”だったと僕は思います。一方で、このドキュメンタリー映画を劇場公開する配給会社がいなかったことは、日本の映画興行界の“大いなる怠慢”だと言わざるを得ない。一人でも多くの人に見てもらいたい作品です。
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