高校生になった頃、僕は「映画評論」誌を自分で購入するようになりました。それまでは兄が買っていた古い(と言っても2〜3年前)雑誌を読んでいただけですが、「映画評論」誌では「憎いあンちくしょう」(1962)や「何か面白いことないか」(1963)などの裕次郎映画を、きちんと評価していたのです。それが僕には新鮮でした。
そして「執炎」(1964)を見て、蔵原惟繕という監督さんに惚れ込んだしだい。とはいえ、この「夜明けのうた」は、たまたま「日本列島」と同時公開だったから“ついでに見た”のでした。題名からして、ヒット曲に便乗した歌謡映画だろうと思っていのですが、内容がそうではなかったのです。
舞台のミュージカル・スター緑川典子(浅丘ルリ子)は、ブロードウェイ・ミュージカルの翻案舞台で人気を呼び、次の企画が待たれています。典子は、アメ車のスカイラーク(写真2)を購入し、あくる日の打ち合わせまでに読むように渡された台本を読まずにドライブに出かけます。そして小田原で若いカップル(浜田光夫と松原智恵子)に会い、東京に戻る。
その若い女性が失明すると聞いても対して驚かない典子ですが、新車に落書きされているのを見つけると涙をこぼす。そして一方では、自分の無軌道な生活を暴露されるような台本には、絶対に出ないと宣言するのでした。しかし若い二人がそれなりにきちんと人生に向き合っていることから、ふと自分の人生を考え直すのです。
てな話を、岸洋子のヒット曲“夜明けのうた”から山田信夫が思いついたらしい。舶来のミュージカルがニューヨークを舞台にしていて、若者たちの群舞やフィンガースナッピングのような映像もあるから、当然「ウエスト・サイド物語」なのですが、若者たちがブルックリン橋を背景にしているのはグーフでっせ。それじゃイーストサイド物語や。
そんなしょーもないツッコミよりは、あの当時としては必死にモダンな画面作りをしているのが面白いな。神南の国立代々木体育館が見えるマンションというのも、東京を知らない僕には新鮮でした。居間にブランコのような椅子を置いているのも、いかにも緑川典子らしい。自分勝手なスターさんですから、専属運転手たちに宝石を持ち逃げされます。
典子が不倫相手の部屋に潜り込んで、シーツを被って衣服を脱ぐシーンは、やはりゴダールの「勝手にしやがれ」のつもりかな。そして手持ちカメラで典子の移動を追うシーンなど、けっこうアクチュアルで楽しめました。撮影は間宮義雄ですが、ラウル・クタールあたりを気取ったのかも。
浅丘ルリ子は、御年24歳だったんですね。もちっと上だと思っていた。ときどき子供っぽい顔をするあたり、ええわぁ。って、80近いジジイが何ホザイてんねん。溢れさせた湯舟に服のまま飛び込むところ、真上から撮ってるのも当時としては斬新だったな。
しかし、それから5〜6年後に僕はキングレコードに入社するのでした。岸洋子の「夜明けのうた」は、まだ着実に売れていました。あのころはヒット曲というものが息長く売れたものです。カップリングが「スウェーデンの城」というのがいいですね。あの映画のヴァディムの感覚を真似てくれたらよかったのに。
とりあえず、“人生と向き合う”てな命題をポンと投げ出す蔵原&山田コンビ作は楽しめました。って、全部この後テレビやビデオで見たんですが。なんとか就職しながら、2年で希望退職に応じてベルウッドへ、ですから、若い輩(僕のこと)は何をしでかすか分からんものです。とはいえ、そのおかげで50近くになってから“生涯の仕事”に就けたけどね。
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