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2026年05月30日00:33

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ポタリストの記録【千人同心の街と信松院・その2】

■初めての信松院■

陵南大橋と多摩御陵の間にある公園でブランチにした。パンは生地がむっちりと入っていて、見た目以上にボリューム感があった。パンの種類も豊富なので、月に一回ぐらいであれば立ち寄っても良いかなと思った。

ここは植生が豊かということもあり、紅葉の時期は美しい。空気も好いので高齢者や子供たちも思い思い散歩やマラソンをしていた。空模様が梅雨入り間近のような感じだったが。

復路はローディと何台もすれ違った。女性もいたし、学生のサイクリング部と思しき人たちもいた。

これぐらいの時間に出て来て正解だったかもしれない。後方から前にいる人をぶち抜く事で快感を覚える連中とはなろうことならば関わりたくないのだ。

ここから信松院に向かう。

浅川ゆっくりロードは秋川街道まで走り、秋川街道を南下する。ここから「松姫通り」に名前が変わる。R20、JR中央線のアンダーパス(車道は自転車の通行不可なので、自転車用レーンを使用)を潜る。2つ目の交差点が信松院である。

17〜25kmぐらいの中低速域も受け付けてくれ、路面情報は伝えてくれるし、思ったほど手にガシガシと伝えてこない。今履いているフルクラムのRACING4はフルクラムのリムブレーキ用のホイールとしては最も重たい部類に属しながら、相変わらず懐の深いホイールである。

連休明けにグリップも替えた。MTBに乗る知り合いがオールラウンダータイプのロードバイクにステップアップするので、新品同然のおさがりである。

ただグリップ自体は堅めなので、サイクルグローブ必須ではあるが。

浅川ゆっくりロードは街道を跨ぐ際に見通しが悪いところがあるので、ニアミスに注意が必要だ。八王子市役所前の鶴巻橋を通過、次の萩原橋を二段階右折して南下する。信号が多く、個人商店が目立ち、高い建物は無い。いかにも街道筋といった感じだ。R20から道は狭くなる。ここで秋川街道は終わり、松姫通りと名前を変える。その先はJR中央線のアンダーパス。ここは原則車道の自転車の通行が禁止されているので、遊歩道を走る。段差がほぼ無いなだらかな道で、幾何学的な感じすら受ける。と思っていたら、左手に小学校がある。通学路だからだろう。

富士森公園まで松姫通りは続いているのだが、小学校の斜め前が信松院なので、ここまでとする。駐車場が分からない。その先の境内の売店にもあるのだが、これだけの敷地の広さにしては少な過ぎる・・・と思っていたら、向かい側だった。行きなれていないとちょっと分かりにくい。駐輪場は特にない。隣接する南大通りは歩道も広いので、山門付近のガードレールにアースロックでも良かったが、駐車場の小脇に停めさせていただく事にした。

信松院は曹洞宗の寺院で、山号は金龍山である。曹洞宗は質実剛健で地味だが堅固な山門を擁しているところが多いのだが、言われなければ禅寺とは思えないほど、垢ぬけている。山門と書いたが、しょっちゅう訪れている青梅市の塩船観音寺、あきる野市の大悲願寺のような重厚な山寺のような門ではない。どこかの会館のような印象だ。

こちらの名刹は天正18(1590)年、武田信玄の四女、松姫が下恩方から台町に草庵を移転したのが開基とされている。以後、信松尼となるが、ここでは分かりやすくするため、松姫と統一させ頂く。

天正10(1582)年、信長によって武田家が滅ぼされると、八王子の下恩方に落ち延びた。そこから8年後の1590年、小田原北条氏が豊臣秀吉によって滅ぼされ、徳川家康が関東に国替えとなる。この時期に開基したようだ。

門を潜ると、右手に庵の庭園を移設したかような印象を受ける。

初めて訪れた方は門に刻印された「武田菱」に驚かれるかもしれない。更に寺院の垂れ幕も武田菱が掛けられているのだ。

実は関東に国替えになった徳川家康は松姫一行が下恩方にいると知り、差し入れを送っていたとも言われる。慶長8(1603)年に江戸幕府が開かれるや、嘗て戦った武田家の家紋を使用出来るとは思えないので、家康が使用を黙認したのだろう。

本堂はまるで天守閣のように先端が上に伸びていて、一瞥した限りではどこかの城のようにすら見える。

見覚えがあるような・・・と思って思い出したのが、安土城の天守のようなフォルムに感じる。

なぜこのようなデザインなのか。勿論松姫が喜ぶと思ったら決めたのだろう。ではどのような背景か。

松姫は当初織田信長の息子で織田家の嫡男の信忠と婚約していた。或る種政略結婚ではあるのだが、それでも思い人だったことは間違いない。ところがご存じの通り、父・信玄は信長の上洛を快く思わず、自身の死期を悟ってか、大軍を率いて上洛しようとした。これによって婚約は事実上破棄となる。信玄は上洛の途中、徳川家康を三方ヶ原の戦いで一蹴するが、陣没。その後天正10(1582)年、信長による甲州征伐が開始されると、松姫一行は多摩郡恩方に落ち延びた。しかしここで武田家が天目山の戦いで滅亡、更に半年もたたずして本能寺の変、元婚約者の信忠もこの時討死したという悲報を受けた。

信忠と成婚していれば、安土城で信忠と暮らしていたかもしれないという思いから、偲ぶ人達が建築したのかもしれない。

本来曹洞宗の寺院は質実剛健なデザインのところが殆どだからだ。

緑豊かで空気が気持ちの良いところだ。彼女の雰囲気が伝わりそうな感じすらして来た。折角なので、松姫の墓所にも訪れてみた。墓所は本堂の右横の階段を降り、また上がり、一般の檀家さんのお墓の一角にある。

彼女の生年は1561年だから、川中島合戦の年で、没年は1616年で、前年に大坂夏の陣が終わり、漸く泰平の世になった年に亡くなった。しかも松姫が亡くなった年は徳川家康も亡くなっている。戦国時代でもとりわけ大波乱の時代を翻弄された人であった。

「すべての世の女性を幸せに」

と庵を結んでからは祈り続ける毎日だったという。

あなたが女性であれば参拝は歓迎してくれるだろうし、男性の場合でも「女性を幸せにする力が欲しい」という気持ちがあれば、叶うかもしれない。

緑が豊かな寺院だが、実は河津桜も綺麗だそうだ。来春は河津桜の時期に訪れてみたい。

八王子本局付近から大和田町のエコスの新店を見学した。イオンモール滝山が6月下旬オープンだそうだが、どう立ち向かうのか興味深い。再度ひよどり山トンネルに行き、帰路に就いた。

寄り道が多かったこともあり、走行距離は41kmだった。

最後までご覧頂きまして、ありがとうございました。

〜写真:いずれも信松院〜
・山門というには会館のような門
・先端が安土城のように感じた本堂
・仏殿に武田菱の家紋が


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