■「才あれど、徳無き将軍」の登場江戸幕府はなぜ滅亡したのか? それは黒船以来の外圧に組織自体が劣化していて、対応出来なかったからだろう。そうはいっても、改革する機会は何度もあった。古くは重商主義だった田沼政治を継承していればよかったかもしれ
「合戦に於いては常に負ける覚悟をしておくものだ。勝ったときは必要ないが、負けた時はうろたえないための用意である。」(藤堂高虎、戦国武将) 高虎ほど誤解の多い戦国武将もいないと思う。その75年の生涯の中で、何度も主君を替え、最後は豊臣から徳
「下の功労を盗まざれ」(北条氏康、相模の戦国武将) 「社内政治家」、「社内官僚」どこにでも居る人たちかもしれない。部下には空威張りするくせに、役員にはへつらう。部下の手柄を抜け目なく自分でやったかのように詐称して、売り込む。そして受けが好
「和を以って貴しと為す」(『聖徳太子』) 言うまでもなく、子どもでも知る格言だが、この「和」という漢字、実は本来は象形文字だった。聖徳太子の時代、「のぎへん」が右で、左は屋根とその下は口が幾つもあった。口とは人のことでもあり、お金でもある
関連のmixiニュース■クルマの運転で自信がないテクTop10http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=60&from=diary&id=3242323 ひと昔前であれば、上位に来るのは「坂道発進」だった。しかし、今では優れたAT車が各社販売されていることもあって、下
シリアのアレッポ付近でイスラム国(以下、ISISとする)に拘束された邦人2人の安否は23日の19時現在になっても、未だにわからない状況にある。日本政府の公式発表では、ISISから日本政府に(解放したとも、処刑したとも)何の通告もないという
「幾らカミソリを研ぎ澄ましても、ジャングルを切り拓くことは出来ない。」(金森久雄、エコノミスト) 江戸時代初期、徳川幕府の剣術指南役、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)はしばしば沢庵和尚と出会い、議論をした。 ある日、ふたりの話題は「極意」に及
「生かされていることを感じ取ること。それが生き甲斐だ。」(神谷美恵子、精神科医) 著者は津田塾大学在学中にハンセン病の存在を初めて知り、医学部進学を決意し、30歳にして精神科医になった。多くの患者に接するうちに同じ人間で難病に苦しむ人がい
「才能は誰にでも備わっているし、努力はみんなやっている。でもたったひとつだけ忘れているものがある。それは『感謝力』。全てのものに感謝する気持ち。それが無い人は何をやってもダメだと思う。」(古市 忠夫、プロゴルファー) 古市氏は何と数奇な人生
【水面下でのイスラム国との戦い】 ひところに比べて、世界的に石油、天然ガスの値段が下がってきている。 一時期、アメリカがシェールガスの抽出と商品化に成功したので、アメリカは中東の原油なしでも遠からずやっていけるようになった。革命的な話だ。一
「面白きことも無き世を面白く 住み為す者は心なりけり」(高杉晋作、幕末の長州藩士) 高杉晋作の出自は他の藩士とは異なり、先祖は長州藩の要職に就く人達が多かった。比較的裕福な出だったと思われる。長州藩の学校、明倫館(めいりんかん)に通っていた
【事件は今の経済状況をそのもの】関連のmixiニュース:■豚ひき肉に金属片、マーマレードにガラス…まだまだあった!「危ない食品」(dot. - 01月10日 07:11)http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=3219797 多くの識者が言うよう
■農民も武装していた安土桃山時代■ 兵農分離と云うと、大抵の人は徳川家康を思い浮かべるかもしれない。確かに彼はそれを確立したのは間違いない。しかし、その先駆けになったのは実は織田信長である。それも尾張に居る時に彼はやった。 信長は1560
「人の主人は不動、愛染の如くなるべし」(朝倉孝景、越前の戦国武将) 朝倉氏は元々但馬(今の兵庫県北部)出身だった。南北朝の時代になって、越前の足利氏に仕官していた。戦国時代になって、朝倉孝景は主家を追い出し、越前一国を乗っ取った。世は正に下
「自分が立っているところを掘れ。そこからきっと泉が湧き出る。」(高山樗牛、明治初期の思想家) 高山樗牛(たかやまちょぎゅう)は嘗て石川啄木などと共に評価が高かった文学者、思想家だった。彼自身啄木らと共に短命で世を去ったことも似ている。文学
「学べばすなわち固くならず」(『論語』) 孔子という人はあまり弟子たちに教えることはしなかったようである。弟子たちに先ず自発的にやらせて、万策尽きて悩み苦しんで、分からなくなって胸が張り裂けそうになって、初めて教えるという方式を採用してい
「一身にして、二生を経る」(福沢諭吉) 福沢諭吉は人生の前半を江戸、後半を明治時代に生きた。明治から江戸へ、まさに激動の時代だった。2人分の人生を生きたとこのように振り返ったのである。 しかし日本人の平均寿命は男女平均で83歳になった。それを
「天下、意の如くならざる事、常に七、八なり」(『十八史略』) 『三国志』の時代もそろそろ終わりに差しかかった時のことである。三国志というが、先に曹操が建国した魏が劉備の建国した蜀を滅ぼし(263年)、次に曹操の手下の司馬懿(しばい)仲達の子
新年明けましておめでとうございます。 いやいや、ちっとも「おめでたくはない」ですね。何しろ去年は消費税増税で、実質賃金はただでさえリーマンショックの時期よりも悪かったのを追いうちをかけるように、絶賛下落中となりました。こういう時代は運も大切