■八分咲きの公園のつつじ■
羽村のスポーツ会館の先でJR青梅線の東側に渡り、河辺方面に向かって進む。久しぶりに紀伊國屋に寄った。コロナで店舗数が激減した中、ここは数少ない開店から10年も経っていないお店のようだ。ここで和菓子を買った。塩船観音寺へ道はなだらかに北上していく。伸びやかな左カーブで、典型的な扇状地の地形である。
塩船観音寺の駐車場はこの日は平日にも拘わらず、ほぼ満車。コロナ以前では考えられなかったが、海外旅行にしょっちゅう行っていた人たちが円安で行けなくなったからだろう。
山門を抜けると一見見逃しそうだが、茂みの中に牡丹が咲いていた。塩船観音寺は通常は参拝料が無料だが、この時期は有料。300円を支払って入山した。
本堂はご開帳の状態だった。本堂から道は二手に分かれる。下り坂からお堂に入るか、山裾沿いの道を進むとぐるりと回ってお堂に出る道。参拝後に山裾の道を歩く。
出発前に予想した通り、二週間ぐらい花期が早い気がする。訪れてよかったと思う。既に八分咲きだった。お堂を取り囲むように咲いている。この名刹は開山が大化年間だという。あの「大化の改新」が起きたころだから、1400年もなる。多摩地区では屈指の古さだろう。
これだけの年数を保って来た理由は何だろうか。
風水では山や丘に座椅子のように囲まれているところは気が安定しやすい。堂の周りは丘陵である。このことも大いに影響をしているだろう。実際、京都の街も地図やグーグルアースで上から見ると、まるで山や丘陵という座椅子に座っているかのように見える。
塩船観音寺は植生が豊かである。
主役はつつじだが、下り坂には射干の花が咲いていた。山門至近の牡丹も射干も「名脇役」である。
常に脇役ですらない私にはこうした存在にも目を向きやすかった。
花は既に二番咲きと思しきものも咲いていた。矢張り思った以上に早かった。
つつじ祭りはゴールデンウイークの時期が本番だろうが、露店が少しずつ出ていた。地元のものを頂きたかったが、これから青梅鉄道公園にも行くつもりだった為、時間が無かった。帰宅後も老母へ夕食を拵えねばならなかった。
14時を回っていたが、同市内ということもあり、30分ぐらいで着くだろう。
■鉄道公園にて古車巡礼■
青梅駅の北側は丘陵となっている。JR青梅線を越えると崖路が立ちはだかる。二段階の坂を上がると公園が見えて来た。久しぶりに登り応えのある急坂だった。
3月22日、青梅鉄道公園はリニューアルオープンした。
公園の金網からは国鉄時代に設計された、201系の中央線青梅特快、中央本線で活躍していた115系湘南色が見える。
駐輪場らしいものは特にないが、バイクが停まっていたので、その近くに停めた。
嘗ての青梅鉄道公園の建物は何階もあったが、平屋である。入り口の横はED10型の電気機関車が飾られている。入口の入場は自動改札機のようにQR決済、Suicaなども受け付けてくれる。
設計されたのがコロナ禍の時期だったこともあるのだろう、徹底的な省力化となっている。真新しいのは大画面の運転シミュレーターがあることだ。公園の学芸員なのか、元JRの運転士らしき人が横で監修しながら、有料で運転の体験が出来る。
リニューアル前は歴史だけでなく、かつて活躍した特急、急行などの鉄道ファン垂涎のエンブレムやパーツなどの展示も多数あり、鉄道模型(多分HOゲージ)のジオラマもあり、実際に走らせていたフロアもあったし、食堂もあった。それらはなく、運転シミュレーターと改札機、飲料水の自販機のみ。正直、嘗てを知る者には余りにも殺風景過ぎにも感じた。
建物を出ると左手が先ほど見て来た国鉄時代の201系、右手には大正、昭和の戦前に活躍したと思しきSLが展示されていた。直進し、階段を降りると、団子鼻の初代の0系新幹線の先頭車両が展示されている。ひとまず新幹線から見ることにした。
私が中学生の修学旅行に行ったときはまだ走っていた記憶がある。中も見学することが出来、北陸新幹線のかがやきを知る者としてはこんなに狭かったのかと思うほどだ。最高時速は勿論大幅に上がっているが、
スペースユーティリティも格段に現代の新幹線は上がっているのを感じた。
坂を上り、左を曲がるとED16型電気機関車が陳列されていた。個人的に他の人から「不細工だ」と言われようが、デッキのある電気機関車が大好きだ。国鉄で最も長く使用されていた電気機関車で昭和55(1980)年まで53年間も使用されていた。こげ茶色の車体は今やレトロでおしゃれですらある。現在日本でED-16を見ることは出来るのはこの青梅しかない。
その奥に陳列されていたのは大正、昭和の戦前期に活躍した蒸気機関車(SL)である。D51(デゴイチ)やC62、C11、C12(大井川鉄道、真岡鉄道などで採用)、やまぐち号を知る者としてはレトロなデザインの機関車が並んでいた。
駐車場から見えた最後のブースにやって来る。201系青梅特快、115系湘南色、D51(デゴイチ)、クモハ40系があった。
201系の青梅特快は国鉄時代の設計らしく、つり革はJR西の車両との差別化はまだされていないようで、丸型だった。現在中央線、青梅線などで使用されているE233系のつり革はJR西の車両と差別化するため、おむすび形である。頭文字に「E」がつくものは分割民営化以後に設計された車両だ。
115系も懐かしい。私が学生の時はまだ現役でJR中央本線の普通車で活躍していた。貧乏学生だったので、コンビニの夜勤のアルバイトを終え、着替えとシャワーを済ませ、始発近い電車に乗り、高尾で115系に乗り換えて松本に何度か行った覚えがある。眠りから覚めると、さらなる旅情を誘う「まつもとぉ〜、まつもとぉ〜」というあのコールが懐かしい。今や生成AIで簡単に声も創れてしまうだろうが。
JR中央線、青梅線がオレンジ色の車体になる前に入っていた、クモハ40形もあった。懐かしい電車だ。こげ茶色はレトロでかわいらしさも感じた。
D51(デゴイチ)もあったが、これまでの自分の生活に寄り添った電車の方がついつい足を止めていた。
良い時間になったので、復路に休憩する際の飲料を自販機で購入し、公園を後にした。因みに発行されたチケットはその日の開園時間内であれば、QRコードをかざしさえすれば何度でも入退場は自由である。
グリップの感度、ミラーのアングルは良好。このポジションで暫く乗り続けたいと思う。帰りは東青梅駅前に来たところで、線路伝いの道を使用して帰途に就いた。
往復で約45kmのライドだった。
最後までご覧頂きまして、ありがとうございました。
(了)
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