公開から時間が、経ってしまったので簡潔な書き上げを心掛けてみる。
ことさら半生を盛り立てる事なく、1人の表現者が持ち得た独善性や非凡な才能故の「先進性」と並びミュージックシーンに於いて成功に安閑とせずに「おのれ」を貫くスタイルは、取り巻く他者との関係、取り分け「愛情方面」にあっては相手への歩み寄りを示さない分、心を寄せる相手側からすれば嫉妬や猜疑心をもたらして、深い絆を結ぶには障壁であった。
実在の人物の評伝製作にあたり、つぎ込む予算や手間が違うので、当時を再現する小道具や背景セットのビジュアルはしっかり整えられて、ディランに扮するシャラメ君はじめとするミュージシャン役を振られた演者さんは、外見はもちろんの事地声による歌と楽器演奏の「再現」を忠実にこなして、映像の強度では追随を許さず。ただ、先述の通りハッキリと見る側の感情を沸き立たせる、これ見よがしの「芝居どころ」は用意されていない分、判り易い演者のアピールポイントが稼げなかったのが、今回のオスカーでの結果に繋がったかなと。
特に、デビューしたばかりのディランに、本格派フォークシンガーとしての「格」を示し、その後も音楽表現で刺激し合うジョーン・バエス役のモニカ・バルバロさんの、その才能から来る自信と麗しさ溢れる姿は、初登場場面で聴かせる「朝日のあたる家」の歌声と共に惚れこませてくれただけに、助演女優賞に至らなかったのは個人的には残念でしたが。
あからさまな感動ミュージシャンドラマに「極振り」していない本作に惹かれるのは、1960年代の時代の「事件」を受けて表現者が、抱いた動揺や取った行動に表現方法を変容させていくまでが体感できたことにありました。
今でこそミュージックシーンは細分化されて、いろいろなジャンルの「音」を普通に聴く事が出来ますが。
ディランが、それまでのフォークスタイルを捨ててエレキギターを持ってかき鳴らした現場の雰囲気なんか、これまで評伝記事では目にして来たけれど。観客のブーイングに抗って演奏し切る姿は、「時代」に追随したのではなく、聴衆への迎合なんぞに目もくれずに己を押し通して「時代」を変えた者の確信の揺るぎなさが見て取れた。愛した女性たちは、間柄を隔てる「溝」であったけれど。
キューバのミサイル騒動の報道を受けて、居てもたってもいられなくなったジョーンが、ライブハウスで表現者が取る手段とばかり歌うディランに思いを同じくする場面にも、心動かされました。
拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
シネプラザサントムーン シアター��にて
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