のんびりと本の整理などしていると、思いもかけない本が出てきたりする。
「子午流注与気功健体」劉宝海・郭利生編著 山東科学技術出版社 1990年3月
これもそう。
これは、陽明学だの示現流だのに興味を持って体術などやっていた友人に翻訳してくれと言われて渡された本。
それだけやっていて中国語がダメってないだろうと思うが、ヤツは矛盾だと思っていなかったらしい。
訳し始めたが、あの頃、私はすごく忙しかったのよね。
だから途中までで未完。
ご本人はその間に英訳本を手に入れて読んだからもういいやということになって、返しそびれてそのままになっていたもの。
ご本人とは現在音信不通なので返しようもない。
しかしこれを訳して思ったのだが、ただ言葉を置き換えても訳したことにはならないんだよね。
意味が分からないのにわかったように書くのは訳ではないということ。
一例を挙げれば、「シュワイショウ」という言葉が出てきた。
手を振るということだが、そう訳してどれだけの人にわかるだろうか?
太極拳をやったことがある人ならわかるだろう。
腰を落として力を抜き、腰を回して手をブラブラ振ることなのだ。
これは、訳せと言ってきたヤツに聞いたら教えてくれた。
「フルヘッヘンド」に泣いた杉田玄白たちと同じですな。
子午流注というのは気功の方の言葉で、気が降臨するのは一定ではなく、時期によって変わるという、秘伝だった事柄について書いてあるのだという。
もう公表している事柄のようだから、詳しくは自分で調べてみればいいだろうが、畑違いの本の翻訳という事をやればこんな問題をたくさん抱えることになる。
それを調べて理解していくのが勉強でもあるのだが、これは結構時間がかかるし根気もいる。
それができないなら、自分のため以外の翻訳などしないことだ。
秘伝で思い出したが、剣道をやっていた時に古流にも触れて、秘伝・口伝の類も少しだけ触れることができた。
わかってみると「な〜んだ こんなことか」というものだったのだが、実はこの「な〜んだ」が曲者だった。
やらないだろうという手をやるからひっかかるのだ。
そんな手だからまた、公開できない秘伝・口伝になる。
「兵は詭道なり」なのだ。
そして、「兵は詭道なり」の意味を知るのも剣道をやったからであり、時間をかけて根気よく続けたからである。
能学者を称するさる大学教授が、脳の完成は54歳の時であり、その頃が最も脳を活用できる時期であると言っていた。
それが事実かどうかはどうでもいいのだが、確かに人間五十を過ぎると、今まで別々にやってきたことが繋がって動き出す。
これはなんとも愉快なことなのだ。
そしてその後は老化していくわけだが、老化するにつれ幸福感は増していくのだとか。
体も頭も効かなくなってきた先に幸福の絶頂があるなんて、「ながらへば恥多し」ではなく「ながらへば蓬莱に会う」に近い目出度い話ではないか。
一冊の本が出てきただけでこんなにいろいろ考えた。
客観的にみると能天気な私なのでありますな。
また段ボールひっくり返してみよう… (-_-;)
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