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2022年10月02日17:43

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「さかなのこ」を見て。〜縁は異なもの味なもの。捕らえてしめたイカやタコは、美味なもの。お魚博士になるまでの道のりで、ホノボノ思うもの。〜

(どうしても場面描写を書かずには済ませられませんでした。それを承知で、この冗長な感想にお目通し頂ければ、幸いです。)

その人の趣味・嗜好の「好き」を貫く尊さを、今や大学の准教授にまで上り詰めて、白衣にハコフグの縫いぐるみ帽子の姿で、万人に分かりやすく説く容姿と姿勢が、すっかり定着した「さかなクン」が、世に現れるまでを見せるのですが。教育的意義が強調されてウヤウヤしい感じに、あの「ぎょぎょ」って感嘆フレーズを、聴かされ続けるのかと避けるムキも、想像されるところ。

あの日あの時って「年譜」に沿わず、正確な再現にも囚われず。聴き伝えのお話の様な敷居の低さに、のんびりしたユーモアのアレンジも心地よくて、入り込み易いうえに、ユッタリと見られる。半生記の「到達点」の馴染みである「さかなクン」のキャラクターの完成形も、近所に居たヘンなおじさんとして、主人公の幼少期の記憶を経て、「あんな感じになれれば」って、成人してから思い起こすイメージとして、前半で、ご本人を本編に登場させるのです。

奮闘努力、試行錯誤の末に、本編の主人公が、それに追いつくという、映像フィクションならではの描き方で、「好き」を貫くテーマ共々、すんなりと受け入れられていて、語り方が巧いです。

ご本人の素質と折れない熱意が有ればこそ、ですが。本編で痛感するのは、そこには、自力ではどうにも出来ない、他者との「縁」があってこその、地位や成功なのだと、ホノボノ、思い返えす。

主人公のミー坊が、高校生から社会に出た、「人生の節目」で、他人や周囲を見渡して、世間に迎合するように、進路を変更するのは、ほぼ、無かった訳ですが。そこには、息子の嗜好をアシストして、夫や、学校の口出しも跳ね除けて、本人の意志を尊重した母親と、ミー坊の海の生物への一途な想いに、魅入られ、巻き込まれて、中には、逆に影響もされた友人たちの力添えが、あって。その辺りが、現実感から、ちよっと、浮き上がった、おおらかな描写でもって描かれていて、押し付け感が、全く無い。

見ていると、ミー坊の「ルール」として、獲った生き物は、自らの手で割いて頂くようで。劇中、魚ではなく軟体生物をしめて、食す場面が象徴的でした。

まず、幼少期のミー坊が、家族と友達と海水浴に出かけて、チッサな体の前面いっぱいに蛸を貼り付けて海から浅瀬に出て来る。それは、画的にもインパクトあるのに、ミー坊は、それには全く動じずに、母親に、家での飼育をせがんで、彼女も前向きな検討に入ったところ、そんな事は耳に入っていない父親が、家長の権威の見せどころとばかりに、次男のミー坊に張り付いた大蛸を剥ぎ取るや、砂浜に叩き付けて、ハラワタを素手で引き出すのだけど、突如の暴挙に、ミー坊はじめ子供達は震え上がってしまって。昔、「フランスの思い出」という作品で、都会っ子の少年が、田舎へ移ったその日、可愛がったウサギを、取り上げられて頭を叩いて即死させるや、皮をはぐ場面に出くわし、ショックを受ける描写が、蘇りました。

捕らえた生物を美味しく頂くのに、鮮度を保つため速やかに命を絶つのを「しめる」と云いますが。ワイルドさアピールの父親に、それを知らしめられる事となって。結果、食卓に、新鮮なタコ料理が並ぶ事となる訳ですが、母親は、ミー坊の探求心からのタコ料理リストを、一品目ずつ、丁寧に潰している様で。それに、旦那と長男も付き合わされているフシが伺える。ここに至る経緯は、突拍子の無さに、微笑ましくなるも、ミー坊を巡って、一般常識や体裁を気にする父親と、息子の興味を容認する母親との違いの現れでもあります。

もう一つ、ミー坊が社会に出て、互いにその進路にあって影響し合う、友人たちとの印象的な描写がありまして。学業を修める事に、無自覚で放任されていたので、校風が荒んだ高校へ進学したミー坊で、それこそ、不良どもの恰好のえじきとなって、さかなではなく、自身が、締め上げられてもおかしくない位、学校環境と水が合わなさそうな予感もするところ。

校内で幅を効かせる総長の父が漁師で、獲物に紛れていたカブトガニを生物教師の指導の元飼育する事になったはいいが、その手立ても判らず。近くの漁港へ、カブトガニの「散歩」に総長と配下の不良達を巻き込んで遠征すると、他校で、「狂犬」の異名で鳴らす、幼馴染のヒヨ達不良一派と出くわす。漁港は、岸壁から荷捌きの魚市場まで、コンクリート造りで、敵対関係外のミー坊も引き入れて、不良達が左右別れて対峙する構図は、「ウェストサイド・ストーリー」の日本風焼き直しにも写って。またしても、映画的記憶を刺激する。

人種対立とか無縁な分、「のどか」以外の何ものでも無いのだけれど。チマチマした高校生の覇権争いなんか眼中にないミー坊が、岸壁そばの海面にイカが漂っているのを認めると、敵対校の幹部格のカミソリ籾(もみ)が、自己顕示で着用している網目Tシャツを、問答無用で剥ぎ取って、魚網にして捕獲。ミー坊は、不良達の護身用ナイフを手慣れた手つきで、締めたイカをさばいて振る舞って。美味な取り立て「イカ刺し」で、不毛な二校の対立を収めるどころか、カミソリ籾の進路にも影響を与えたうえに、ミー坊も、この後、現実に目覚めて学業を修め、社会に出たヒヨから手を差し伸べられる事となって。

職業はじめ、社会的な地位だとか立場は、最終的には自らの力でつかむものですが。とはいえ、そこには、他者との係わりが及ぼす「力」もあって。我が子を理解し、信じ切る親だとか、互いに魅力を認め合う友人・知人との絆だとか、それらが、全く介在せずに、事を成せた人は、まず、居ない。ことわざの縁とは、元々「出逢い」を指すけど、先に文字数を割いた劇中の描写は、縁は異なものであることを、かなりユーモアを効かせて可笑しみを誇張して。

その機会自体が、ミー坊ならではある事に加えて、自力で得た獲物を直ぐしめて、その場だからこそ味わえる新鮮味への感動と、ことわざの「味」についても、二重に掛かっていると思い込みを強くしたのもあって、つい詳述しちゃいました。

本編冒頭で、「男とか、女とか関係ない」って断りが表記されます。ミー坊に扮するのは、のん(能年玲奈)さんで、男性として、高校時代の詰襟から、社会人の迷走期を経て、あの馴染みの魚博士となるまでを、演じている。(幼少期も、歳相応の女の子に役を振っています。)
好きな事をトコトン追及する、純真さ、一途さを体現してみせる演出の狙いに、ハマっています。

魚の知識と、それを表現する絵描きに、飼い方、食べ方以外には目もくれず邁進して来て。社会に出て、適応力の面での欠如も意に介さず過ごしてきたところ、夏帆さん演じる、シングルマザーとなった幼馴染のモモコが、子供共々、ミー坊の居所に転がり込んで、暫く、疑似家庭の暮らしを送るのですが。

3人が食べる為、絵に興味を持った子供にクレヨンを買い与える為、ミー坊が、飼育していた魚を売ったり、仕事を増やしたりして。本編中、唯一、「魚」が、彼の中心から後退するのと、即席だけれど、「家族」のカタチの維持に、好きな事の前に自身が男であることを、ミー坊に意識が芽生えて、これまでとは、違うカラーが忍び寄る。でも、それは、モモコも察知するのだけど。夏帆さんのキャラクターは、実際のさかなクンの人生には、出て来ないとの事。

CМや、本人役のドラマ「拾われた男」の通り、麗しい外見の井川遥さんは、母親役として、見た目では判らない、子を信じる思いと意志の強さを、通わせて。総長役の磯村勇斗さんにヒヨ役の柳楽優弥さんは、高校生役から、楽しげにミー坊に振り回されてみせて、盛り立てています。

先の漁港でのコミカルな騒動で、ミー坊に、網Tシャツの供出をさせられて、メンツをつぶされるカミソリ籾に扮した岡山天音さんは、TVドラマ「ミステリと言う勿れ」での、ゲストエピソードでの犯罪者役同様、社会にすねた感じを醸していたのが、獲り立てのイカを食したのを境に変わる役柄も相まって、印象高し。他にも、よく見かける演者さんが、脇にまわって、良いアクセントをもたらします。

残念ながら、前作「子供はわかってあげない」は、上映されなかったけれど、「おらおらでひとりいぐも」、「横道世之介」同様、この沖田監督作品も、これから先、しばしば、先に上げた場面をはじめ、思い返す事でしょう。相変わらず、じっくり撮っておられますが、さかなクンの自伝エッセーの脚色具合も、気になるところではあります。

拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
シネマサンシャインららぽーと沼津 シネマ9にて

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