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2021年12月07日00:11

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「かそけきサンカヨウ」を見て。〜あの人の絵の花びらのように、透明と思えた私は、まわりを認めて色づきはじめる〜

自分らしくと、我を通しても思った通りには、ならず。思春期真っただ中から、世間を知るオトナに至るまで抱える問題を、イロイロな表現で時代や、お国柄関係なく取り上げられ続けている。ストーリーの盛り上がりを創り出そうと、凝った設定で訴える作品もある中、本作は、日常を定点観測するが如く、ヤマなし、タニなしで、現在の商業映画水準からしたら、「それで、どうした」と、言われる位に淡々とした作品ではあるけれど、誇張されていない分、見ているこちらにも通ずる浸透力があって、不自然さのない登場人物の心境の移り変わりも、ごく普通に受け止められる。

10代の多感な時期に差し掛かった陽は、離婚して家を出た佐千代に変わって、放課後早めに帰宅して家事を切り盛りして、父親の直と二人きりで暮らしていた。何時ものように、陽の作った夕食を二人でとっていると、直から「恋人ができたから、結婚したい」と告げられる。再婚相手の美子には、4歳の娘ひなたが居て、家族四人の新生活が始まると、陽は家事から解放されて、晴れて完全扶養者の「娘」の立ち位置に納まるものの、父と二人で住み慣れた家の中で、両親は、ひなたを中心にして切り盛りすることになって、陽としては、今までにない、おさまりの悪さを抱えることになった。

中学の頃から、放課後喫茶店で気心の知れた男女の同級生同士で、だべって来た陽が、その中でも親しく接していて、高校では同じ美術部で活動している男子の陸を誘って、夏休みに、水彩画家として活動する佐千代の個展を見に行く。幼少期のかすかな記憶で、母の面影と結びついているサンカヨウの絵を見ている時、会場の案内人から、陽は、来場した佐千代を引き合わせられるのだが、一般の来場者と変わらぬ対応をされて、落胆した陽は、逃れるように個展会場から走り去るのを、陸が慌てて、追っていく。それまで気に掛けなかった、生きて来た「足元」の黄色のレンガ道を、突然の突風に掬われて空虚を漂う陽は、如何にして地に足を付けるのか。

家庭の切り盛りの役割と、子が受けるべき情愛と母親不在による欠落を受け入れて、大人として振る舞って来たところで、「形式」としては、あるべき家族には収まったのだけれど。
幼い義妹のように、構ってもらう必要は無いし、子供として情を注いで貰っているのは判っているけれど、家族での立ち位置が、不確かに感じてしまう。

実の母の絵の対象のサンカヨウの花びらは、水をかけ続けられると白から透明になってしまう特性を持っている。端から見たら四人家族の居場所は認められても、自身は、消えてしまいそうなほど、あやふやになっていると不安を抱える陽にサンカヨウの花びらが、重ねられる。

そこで、陽が、癇癪をぶつけるだとか、父や義母が、我が身を省みて娘への思い至らなさに涙を流して詫びるだとか、取って付けた陳腐な解決をしたりはしません。

陽自身が、周りの人との繋がりから、どう立ち回るべきか考えて行くのです。その中で、影響をもたらしたのが、陸の存在。彼は、片親ではないけれど。父親が、単身で海外駐在なので、食卓を、母親と父方の祖母の三人で取り囲み、自分の事で案ずる祖母からの忠告を母は、黙って受け入れていて。父の不在で、不安なうえに、自分の事で祖母との軋轢で、更に負担を掛けているのではと、気に掛けている。

陸の家庭での彼自身が置かれた状況が、彼の家族にもたらしていると考える影響から、我が身を思ったのもあったのか、陽は、義母や実母との繋がりを、自ら考え、構築する。特に、言葉も飾らず、相手を思い計って。

それまでの描写で、登校前、お握りをもっと食べたいとダダをこねる。その時に、幼い義妹に、飯粒を付けた手でスカートの裾を握られて。痕跡を残されたのに気が付かず、学校で過ごすハメにもなっていたのだけれど。父の再婚で、思いもかけず姉となった悦びを義母に伝えたうえで、あらためて、「おかあさんと、呼ばせて欲しい」と美子に伝えるのです。相手の気遣いを、自ら消すことで、新しい家族にあって自分の居場所を確固とする。

自分の在り方にアヤフヤなのは陸も一緒で、だべり仲間の中でも陽は特別なのに、彼女からの告白に応えられずにいて。それでも、辛抱強く、今の時代に手紙を送って、思いを言葉に残す陽。外面の良い、大人受けする子供のように陽が、思われがちかもしれません。家事をもシッカリこなして、丁寧な生活を送る陽を演じる志田彩良さんは、サンカヨウの花言葉「清楚さ」を体現して、作品の世界観に貢献しています。「蜜蜂と遠雷」で、ピアノの神童を演じて印象を残した鈴鹿央士君の次のステップも楽しみでした。本作では、心優しい陸として、志田さんと良い雰囲気を醸しています。

「きのう何たべた?」ほど、あからさまな料理紹介は、流石にないですが、父と二人の生活を送るにあたって、おばから教わったレシピを、陽が自身のノートに纏めていて。日常の生活に即した展開の中、陽の食卓や、陸の食卓も垣間見えて。その中で、出された食事の味付けにたいして、「しょっぱくない」だとか、「濃い」だとか、すすんで食事を作った人に伝えられるかという描写があって。それと云うのは、居場所中で、好きか嫌いか意志をもった「自分」が無ければ、出来ない訳で。些細ではあるのだけれど、陽が、新しい家族の中で、どう変わったかが、伺える。

作品の出だしに、本編中盤で、作曲家である父の直から、映像作品に付ける音楽を二つのパターンを陽に聴かせて、それぞれの印象を彼女が答える場面を先に1度見せるのですが。親しい人でも、包み隠さず伝えられる彼女の移り変わりを、丹念に綴っています。

クセのある青年男女のやり取りと違って、純粋な思春期の女の子を主体に描いているので、小泉力哉監督作品らしくないとか、思うムキもあるようですが。なんて事のない描写を積み重ねる中、美術部で陽も陸も絵心があるのを踏まえて、自分の在り方に悩んだ陽と、見守って来た我々に、細やかで素敵なプレゼントを残すのです。

拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
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