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2020年08月13日10:44

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暑き夏のmixi日記35

久しぶりにここに書こう。

まろうどの少なくなったここに書く意義はもはや問ふまい。
そもそもmixi日記に意義などなかったのだ。

夏には思ひ出が多い。
そはやはり夏の思ひ出は「美化」しやすいからだ、と思ふ。
夏が過ぎれば忘れられる、といふ区切りに使われるせいもある。
一過性のものとして扱われる夏が哀れだ。

夏の終わりとともに恋愛が終わる、といふ歌は、古今東西にある。
いや・・・「東西」は知らん。
そもそも四季がない国に夏の終わりの風情を説明してもラチがあかん。
日本に、さういふ歌が多い。と書くべきだ。

一時一斉を風靡したツイン・ヴォーカル・ロックバンド栗須樽金具のハイトーンの方の歌の人が、アルバムの中に残してゐる「サマーシェイド」といふ曲があって、こは当人のエポックであるハイトーンではなく、ミドルの艶っぽい声で朗々と謳われる名曲だ。
私はたいへんこの歌が好きである。
夏の終わりと愛の終わりを重ねた名曲だ。

そのやうなものに感化され、私も夏の終わりの歌を作ってゐる。
「あの娘と海と八月」といふタイトルだ。
他に男の影が見え隠れするガールフレンドに、夏の終わりのある日 妊娠を告げられる、といふ内容で、救いのない、ぢつにヘヴィな歌である。

ウケない。

だが私はこの歌をけっこう気に入ってゐる。
「どんな人であらうと、一緒にゐれただけで幸せだった」といふテーマがあるのだ。
とどのつまり、さういふ事なのだと思ふ。



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